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(6/9) 碓氷線の復活について(承前)

あえて云うならば長野新幹線の開通に伴って碓氷線が廃線になった理由は唯一、あの急勾配である。
 以前、旧碓氷線を近代化に向けどう手直しするかを検討するに当り、国鉄関東支社は、現在線改良より勾配を1000分の25とした別線案が適当との結論を出し、これを国鉄本社に具申した。これを受けた国鉄本社ではいまさら金をかけて、1000分の25勾配の迂回線を作るのは余り感心しない。車輌の改良を第1とし、それが不可能の場合は迂回線の検討という方針をとった。そして昭和34年8月理事会で66.7勾配の新路線は満場一致で採択が決定した。(以上、中村勝実著 碓氷アプト鉄道より)
 昭和34年の時点で迂回線やループ線による25勾配線を妨げる技術面上の要因は更々無い。従って明治26年から続いた前近代的遺物とも云うべき66.7勾配の存続をあえて採用させた要因は、25勾配線が金がかかり過ぎるの一点であった。しかし国鉄幹線の将来を決定するような案件は、国家百年の計を立てるようなことだから目先の費用の多寡で之を決めることは好ましくない。前掲、中村の碓氷アプト線によれば当時の推定工事費は66.7勾配線36億円、25勾配線71億円である。この程度の差を以て、登山電車なみの急傾斜が残されたということはまことに痛恨の一語につきると云わねばならない。
 現在でも碓氷線をそのままの形で復活させたいと考えている人が沢山居られるようだが、その考えは何とかあきらめて戴きたい。鉄道の使命は安全とスピードと経済効果である。そのどれにも該当しない碓氷線を昔のままに復活させてはならない。只懐かしいからというセンチメンタリズムで決められる問題ではない。
 信越線の復活は日本国経済の回復を待って迂回線とループ線でやるしかない。
そしてその日は必ず来ると信じている。

関口 隆