ロータリーとは何でしょうか。答はロータリアンの数だけあるかもしれません。 創始者ポール・ハリスは、1911年に“Rational Rotarianism” (合理的ロータリー主義)と言う論文にこう書いています。 「私が、大きなコロシアムに立ち、あらゆるロータリアンを前にして一言述べる機会に恵まれたとしたら、私は何のためらいもなく、あらん限りの声で叫ぶでしょう。『寛容!』と」。 ピルグリム・ファーザーズが荒海に小船で乗り出したのは、この寛容を求めたからです。フィラデルフィアで7月に鐘の音が響きわたり、自由の翼が花開いたのも、この旅立ちが出発点です。 私たちのロータリーが単に一過性のものでないとしたら、それは、皆さまも私も、他の人の弱さ、寛容の価値を知ったからです。 ロータリーは、クラブの連合体という史上前例のないものです。自らの運命に責任を負う創意あふれる人が集まった、ということを除いて、ロータリーには何のルールもありません。羅針盤の発明前、船乗りが、星を見ながら、未知の海に乗り出したように、ロータリーの先駆者たちは、大昔からの人間の英知ともいうべきルールを守り、危険をはらむ未知の厳しい状況の中で巧みに船を進めてきました。私たちが、これからも良識ある寛容という確かな航路、また、他人の信念を思いやる心から逸脱しないことを願っています」。 ロータリーは、1905年の4人の会合から、ロータリー・クラブ結成、ロータリー・クラブ全米連合会、ロータリー・クラブ国際連合会、国際ロータリーへと発展していきますが、国際ロータリー理事会は現在ロータリーをどのように定義しているでしょうか。 「ロータリーは、人道的な奉仕を行い、あらゆる職業において高度の道徳的水準を守ることを奨励し、かつ世界における親善と平和の確立に寄与することを目指した、事業および専門職務に携わる指導者が世界的に結び合った団体である」。 ロータリーは、2003年12月末現在、166の国に31,600以上のロータリー・クラブに約121万人の男女会員を擁します。日本はクラブ数2,300以上、会員数およそ106,000人です。世界の会員の9%は日本人です。 ポール・ハリス自身は、ロータリーが一つの都市の友情と奉仕のオアシスから発展し、人々の生活を改善する世界的な力になることを想像したでしょうか? ポール・ハリスは言っています。 「いいえ、1905年には、ロータリーがこのような運動になろうとは予想していなかった。早春のころ、あまり大きくなりそうにない若木を植えるとき、人はいつの日かそれが、亭々たる大木に育つであろうと確信できるだろうか。それは雨と太陽--神の摂理の微笑に待たなければならないのではないか。若葉が初めてもえいでるのを見るとき、そのときこそ、人は大いなる木陰を夢みることができるのである」。 ロータリーは、人種、宗教、政治的信念を異にする人々を友好的、民主的で、公平な雰囲気の中に包み込みます。この親睦のきずなが、他者に奉仕する出発点となり、個人、職業、地域社会の生活においてロータリアンに充足感を与えます。インドの詩人のラビンドラナート・タゴールはこう書いています。「眠りにつくとき、幸福な人生を夢見た。目覚めたとき、人生は奉仕だと知った。奉仕してみて、幸福は奉仕にあると知った」。 ポール・ハリスがロータリーを創始したとき、世界を変えようなどと思ったわけではありません。米国の農村部のニューイングランド出身の若い弁護士は、世紀の変わり目のシカゴの産業の隆盛に追い付いていくのに必死でした。事業が盛んになりました。ですが、「風の強い町」として知られているシカゴは労働争議の絶えまない嵐の吹き荒れるところでした。雨に濡れ、つるつる滑る道路に油がこぼれ広がっていくかのように、シカゴの町の境界が拡張していき、それに伴い、人口も爆発的に増えていきました。このように乱雑に拡張した大都会の生活は、テンポが速いものの、孤独でした。ポールは、シカゴに到着早々、嘆いていました。「どこにも人はいる。でも、友達はどこにもいない」。 ポールは、この疎外感を克服しようとして、3人の知人を誘い、これまで温めてきた考えを話し合いました。この3人のうちの1人、鉱山技師のガスターバス E. ローアの事務所で、1905年2月23日の夕刻に会合を開くことで意見が一致しました。他の2人は、石炭商のシルベスター・シールと仕立業のハイラム・ショーレーでした。定期的に集まり友情を分かち合い、事業と専門職務の知り合いの輪を広げることをこの3人はどう考えたでしょうか? ポールは知りたいと思いました。みんなは、大変価値のある考えだと思いました。4人は、ノースディアボン街127のユニティ・ビルディングの711号室のガスターバス・ローアの事務所で会合を開き続けました。この最初の例会場を作り直した711号室は国際ロータリー本部建物の中に復元されています。 この4人は互いの事務所で「輪番に」会合を開くことを決定しました。4人は、この羽ばたこうとしているグループの名称として『ロータリー』を、会員を『ロータリアン』と呼ぶことを決めました。 ロータリーの創始者たちは、印刷業のハリー・ラッグルズを誘いました。ハリー・ラッグルズの入会後、5人で、正式にシカゴ・ロータリー・クラブを組織しました。しかし、まもなく、ロータリアンたちは気付きました。親睦と相互の利益だけでは、多忙な職業人のクラブで毎週会合を開き続けることができないと。恵まれない人の生活を高めるために手を差し伸べることのほうが、会合を開き続けるための強力な動機になることが分かりました。「超我の奉仕」がロータリーの標語になりました。そして、会員が増えるにつれ、例会場は、ロータリアンの事務所からホテルやレストランに移りました。現在、多くの例会場はホテルやレストランです。 『超我の奉仕』は、1911年の国際大会でのスピーチでミネアポリスRC会長のフランク・コリンズが『無私の奉仕』(Service, Not Self)と言う言葉を最初に使い、後に超我の奉仕(Service Above Self)に修正されたものです。ロータリーの第2標語、『最もよく奉仕する者、最も多く報いられる』(He Profits Most Who Serves Best)は、1910年にアーサー・シェルドンが、ロータリー・クラブ全米連合会の晩餐会の席で、道義心のある実業人を『自分の仲間に最もよく奉仕する者は最も多く報いられる』 (he profits most who serves his fellows best)と表現したものを翌年のポートランド国際大会で少し文言を替えて述べたものです。 1907年にシカゴRCは最初の社会奉仕プロジェクトを実施しました。シカゴ市役所の近くに公衆便所をつくったのです。ロータリーという団体の奉仕活動が世に広く知られると、奉仕の理想はたちまち歓迎され、各地で導入されるようになりました。2年後に、2番目のロータリー・クラブが、米国カリフォルニア州サンフランシスコで結成されました。米国以外の最初のクラブは、1910年にカナダ、マニトバ州、ウィニペグで設立されました。1911年にはロータリーは、大西洋をわたり、北アイルランドのベルファストとアイルランドのダブリンにクラブが設立されました。同年、ロータリーの機関雑誌、ロータリアン誌の前身のナショナル・ロータリアンが発刊されました。1912年には、イングランドでロンドンRCが設立されました。1920年代に、ロータリーは、国境、人種、言語、宗教を越えて、世界に広がりました。ヨーロッパ、中南米、オーストラリア、アフリカ、アジアで、続々とクラブが設立されました。アジアで最初のロータリー・クラブとして、1919年にマニラRCが設立されました。 日本のロータリー創始者と呼ばれる米山梅吉は、1918年1月、目賀田種太郎男爵を団長とする財政調査団に加わり、渡米し、最初の日本人ロータリアンであるダラスRC会員の福島喜三次(ふくしまきそじ)と出会い、ロータリーに深い関心を抱きます。1920年には福島喜三次も帰国し、在日米国人実業家のウイリアム・ジョンストンの協力を得て、1920年10月に創立総会を開き、1921年4月に東京RCが加盟認証されました。日本で最初のロータリー・クラブです。次いで大阪ロータリー・クラブが1923年2月に加盟認証され、神戸、名古屋、京都、横浜にもロータリー・クラブが結成されましたが、第二次世界大戦が勃発し、ドイツ、オーストリア、イタリアのロータリー、クラブが解散し、1940年には日本のロータリー、クラブも相次いで国際ロータリーを脱会しました。東京RCの解散に際し、米山梅吉は『重い足を引きずって私は今ここに立つ、こんなつらい気持ちで皆さまに語らねばならぬのは20年来はじめてのことである。私はただかかる結末になったことをお詫びしたい。しかしわれわれとしても時の流れに徒に手をこまねいておったのではない。日満ロータリーの建設のごときもその現れである。しかし、時代の流れはあまりに急激であった』と述べました。国際ロータリー脱会後は、京都水曜会、東京水曜クラブ、福岡清和会、横浜同人会、北海道では職能協議会などが存続しました。 国際ロータリーは1937年から5ヵ年の間に、ドイツ、イタリア、日本その他枢軸国軍隊の侵入または圧迫で33カ国において484クラブと1万6,700名の会員を一時的に失いました。日本は1949年に国際ロータリーに復帰しましたが、日本の復帰に尽力したジョージ・ミーンズは1953年7月から1972年6月30日まで事務総長を務め、2000年8月30日に亡くなりました。日本の多くのロータリアンは、その死を悼み、ジョージ・ミーンズ奨学金基金の設立に協力し、またジョージ・ミーンズも日本の3クラブに各10,000ドルの遺贈をしました。 国際ロータリーは、奉仕クラブの世界最初の連合体として、他の著名ないくつかの組織が結成される道を開きました。1915年にキワニス・インターナショナル、1917年にライオンズ・インターショナルが創設されましたが、国際ロータリーは、その先がけとなりました。婦人の最初の奉仕連合体のゾンタ・インターナショナルは、2年後につくられましたが、これは、ロータリーをモデルとしたものでした。 さらに、ロータリーは他の人道的団体の基礎をつくりました。1920年には、エドガー "ダディー" アレンや他の米国のロータリアンが、オハイオ身障児協会を創設し、2年後、身体障害児童保護国際協会になり、現在は、リハビリテーション・インターナショナルとして知られています。UNESCO(国連教育科学文化機関)は、1942年の英国ロンドンで開催されたロータリー大会から生まれたものです。第2次世界大戦中の広範囲にわたる荒廃にもかかわらず、ロータリーは、国際規模の教育と文化交流を探る大会を招集しました。「心ある人は誰でも、ロータリーの倫理的、精神的価値を認めています」と英国の首相、ウィンストン・チャーチルは、後に宣言しました。「標語の『超我の奉仕』には豊かな意味が込められています。自由世界各地のロータリー・クラブの成し遂げた成果を認めない人はまずいません」。 戦時中には、ロータリー・クラブは優れた奉仕プロジェクトを実施しました。例えば、スイスのクラブは、フランスとベルギーの難民のための救援活動を組織しました。フィンランドとスウェーデンのロータリー・クラブは、戦争によって生活基盤を奪われた孤児や他の児童に援助の手を差し伸べました。米国とカナダでは、戦争のため荒廃した地域の人々のために、率先して、衣料収集運動を展開しました。 第二次大戦後は、ロータリーは、ロータリー財団の教育的、人道的プログラムや他の奉仕活動を通じて国際理解を推進しようとしました。1917年当時、国際ロータリーは、ロータリー・クラブ国際連合会と呼ばれていましたが、そのときの会長のアーチ・クランフは、1917年、米国ジョージア州アトランタで開かれた国際大会で、「全世界的な規模で慈善、教育、その他社会奉仕の分野で何かよいことをしようではないか」とロータリーの基金の創設を呼びかけました。この基金が後に、ロータリー財団となり、1918年に米国ミズーリ州カンザス・シティーRCから最初の寄付金、米貨26ドル50セントを受け取りました。 1947年のポール・ハリスの逝去後、世界各地のロータリアンは、ロータリーの創始者を偲び、財団に米貨130万ドルの寄付をしました。財団プログラムに対する支援の伝統は今日も続いております。少なくとも米貨1,000ドルを年次プログラム基金に寄付した人、または、誰かから自分の名義で1,000ドルを寄付してもらった人は、ポール・ハリス・フェローとして表彰されます。ポール・ハリス・フェローは、2003年12月末現在、世界で87万人以上います。2003年6月までで、財団への寄付は、総額にして米貨14億5,600万ドル以上にのぼりました。 年次プログラム基金のほか、計画的寄付による遺贈と現金によって構成される恒久基金があります。恒久基金への寄付は、収益だけが財団プログラムの資金として使われます。元金には手をつけず、プログラムを恒久的に支援します。恒久基金の寄付者は、ロータリー財団ベネファクターとして表彰されます。 1985年に、財団はロータリー史上、例を見ないプログラムを開始しました。世界からポリオを撲滅しようとするポリオ・プラス・プログラムです。世界中のロータリアンが目標を上回る米貨2 億4,700万ドルを集めました。その大半は、ロータリアン自身の寄付によるものです。さらに、ロータリアンは、ポリオ撲滅のための闘いで数え切れないほどの時間を捧げました。日本は1986年から1991年まで5年間で49億円集めました。 1995年規定審議会においてポリオ・プラスの目標は西暦2000年までにポリオを一掃し、その後2005年までに、ポリオの撲滅を証明することが採択されました。1990年に米州地域で、2000年には、西太平洋地域で、2002年にヨーロッパ地域で、ポリオ根絶宣言が出されています。 さらに、2002年4月より8,000万ドルの募金キャンペーン(Polio Eradication Fundraising Campaign‐‐PEFC)がスタートしました。日本の場合は誓約で3年間(2002年7月から2005年6月まで)に1,600万ドル集めることを目標としています。2003年6月30日で誓約、政府補助金、DDF(地区財団活動資金)すべてを含めて米貨111,499,351ドル集まりました。2004年1月現在、ポリオの残存国は6カ国(患者が多い順にインド、ナイジェリア、パキスタン、エジプト、アフガニスタン、ニジェール)です。 冷戦の終了後、1990年にモスクワRCが加盟したのを始めとして中欧および東欧の多くのクラブがロータリーに再び加盟しました。その多くは、旧ソ連内の共和国に結成されました。この地域のクラブは、第2次世界大戦中に解散を余儀なくされました。以後、共産国では、1980年代後半と1990年代前半までロータリー・クラブは存在しませんでした。ロバートR.バース氏は、RI会長に就任する少し前に、オーストラリアのメルボルンで開催された1993年国際大会で次のように語りました。「冷戦は終わった、とよく聞きます。しかし、冷戦は終わっても、ロータリーの存在する国々において新たに相違や衝突、敵意が生まれているという事態に私たちは直面しています。こうした紛争があるのですから、私たちは、ロータリーを、平和、寛容、理解の国際的擁護者にする活動に挑戦していくのです」。 連合体というものは、人間と同じく、その行為でその名が知られるようになります。世界中の地域や国でロータリー・クラブとロータリアンを特徴づけるものは何でしょうか? それがロータリーの奉仕プログラムであることは間違いありません。 ロータリーの奉仕を導く羅針盤は、ロータリーの綱領と呼ばれる原則です。 ロータリーの綱領は、有益な事業の基礎として、奉仕の理想を鼓吹し、これを育成し、特に次の各項を鼓吹育成することにある: 第1 奉仕の機会として知り合いを広めること; 第2 事業および専門職務の道徳的水準を高めること;あらゆる有用な業務は尊重されるべきであるという認識を深めること;そしてロータリアン各自が業務を通じて社会に奉仕するためにその業務を品位あらしめること; 第3 ロータリアンすべてがその個人生活、事業生活および社会生活に常に奉仕の理想を適用すること; 第4 奉仕の理想に結ばれた、事業と専門職務に携わる人の世界的親交によって国際間の理解と親善と平和を推進すること。 ロータリーの綱領の歴史は大変古く、その原型はロータリーが誕生した1905年の翌年に早くも作成されています。1906年にシカゴ・クラブがthree points programを採択しました。これが最初の綱領と言えます。一つ目は会員の事業上の利益の拡大、二つ目は親睦、三つ目はシカゴ市への貢献です。 その後、ロータリーの発展につれ、この綱領は、奉仕の対象がシカゴから米国全土となり、国際的にと変化していきます。項目の数も五つになったり、六つになったり、何度も変わりました。point もobjectiveとなり、objectとなりました。 また、項目が複数であったために、objectsという複数形のsがついていました。1951年にsをとって単数形のobjectとすることが決まりました。 その後、1989年規定審議会で女性会員の入会が認められるようになりますと、綱領の中にあるmenがpersonに改正されました。同じ規定審議会で、個人の活動に基づく職業分類が認められて、日本ではその結果、businessを事業、professionを専門職務、occupationを業務と改訳しました。そして「実業人と専門職業人」という訳を『事業と専門職務に携わる人』(英文がbusiness and professional persons、弁護士のポール・ハリスと3人の実業人を連想します)に変えました。その後の変更はなく、現在に至っています。綱領の4項目が四大奉仕部門に相当します。 各ロータリアンは、ロータリー・クラブを通じて他者に奉仕する有意義な機会に数々恵まれています。これらの機会は四つの「奉仕部門」に分類されています。クラブ奉仕、職業奉仕、社会奉仕、国際奉仕です。ロータリー・クラブは、各部門の活動を調整する委員会を設置するよう奨励されています。各委員会の下に、小委員会を置き、特定の分野を担当させます。『推奨ロータリー・クラブ細則』は、こうした委員会の設置について規定しています。しかし、各委員会は、その状況に応じて、委員会と小委員会の数と規模を決定します。 クラブ奉仕は、効果的なロータリー奉仕の中枢に位置します。他のすべての奉仕部門が効果を上げるためには、クラブ奉仕が円滑に運営されていなければなりません。クラブ例会に出席したり、クラブ・プログラムに参加したり、委員会活動に加わったり、会員増強を推進したりすることは、どれもロータリー・クラブの役に立ちます。 すべての奉仕部門の重要な要素は、親睦です。親睦があればこそ、クラブ会員は高い出席率を維持し、力を合わせ、他者への奉仕に最大限の成果を達成しようという意欲をもつのです。クラブ奉仕委員会は、いくつかの小委員会を通じてクラブを推進、強化します。 ロータリー・クラブのほとんどすべての会員身分は『職業分類の原則』に基づくものです。職業分類は、会員が携わっている会社、団体等の主要かつ一般世間がそのように認めている活動、または個人の事業か専門職務を述べたものです。職業分類の原則により、ロータリー・クラブは、地域社会の事業および専門職務の横断面となることができるのです。職業分類は会員に与えられたり、贈られたりするものでなく、貸与されるものです。 職業分類を決めるのは、その人の役職でなく、社会に対する活動または業務です。その人が銀行の頭取であれば、その人は、銀行頭取でなく、『商業銀行』という職業分類の下で分類されるのです。 職業分類の原則は、また、事業や産業を、製造(Manufacturing)、配布(Distributing)、小売(Retailing)、サービス業(Servicing)などの異なる職務に分類します。さらに、職業分類は、クラブの区域内の大規模な企業や大学の独立した部門に設けることができます。例えば、経営学部、工学部、企業内の専門職などに職業分類を設けることができます。2001年の規定審議会で、会員数50名未満のクラブからは同一の職業分類から5人まで、会員数50名以上のクラブは会員数の10%まで同一の職業分類を貸与されることができるようになりました。 職業奉仕は、ロータリーの第2奉仕部門です。以前は、それぞれの専門職務において、また専門職務を通じて他者に奉仕するのは、ひとえにロータリアン個人の義務でした。しかし、1987年にRI理事会は、職業奉仕をロータリー・クラブの責務でもある、と再定義しました。1989年に、規定審議会は、職業宣言を採択しました。 さらに、ロータリアンとロータリー・クラブは、四つのテストと呼ばれる職業奉仕の水準を守るよう奨励されています。これは、1954-55年度RI会長のハーバート J.テーラーの考案したもので、下記に示す通り、簡単な四つの設問から成るテストです。これは、職業奉仕だけでなく、すべての奉仕部門、実質上あらゆる生き方に直ちに応用することができます。次のようなものです。 言行はこれに照らしてから 1. 真実かどうか 2. みんなに公平か 3. 好意と友情を深めるか 4. みんなのためになるかどうか 地域社会の雇用の機会を増やし、公平な職場環境をつくり、職業への理解を深めるために、職業奉仕委員会と小委員会がロータリー・クラブを指導します。 社会奉仕は、『ロータリーの心臓の鼓動』と呼ばれることがあります。社会奉仕は、ロータリーの第3奉仕部門として、ロータリアンがクラブの所在地域内のすべての人々の生活の質を高めるために実施しているすべての活動にわたるものです。実施中の多くの社会奉仕プロジェクトが世界中にロータリーの特徴を顕示しています。実際のところ、他者に奉仕するというロータリーの声価に影響を及ぼすのは、大抵社会奉仕プロジェクトです。 社会奉仕プロジェクトの範囲は、薬物濫用防止、識字率の向上、高齢者への援助を始めとして、病院、学校、その他の地域施設の改善、改良、清掃および再生利用キャンペーンにまで及びます。社会奉仕にはロータリーの提唱する組織、ローターアクト・クラブ、インターアクト・クラブ、ロータリー地域社会共同隊などの協同奉仕者との協力も含まれます。 ロータリー財団は国際奉仕のみと思いがちですが、社会奉仕プロジェクトでも地区補助金というロータリー財団補助金を受けることができます。ロータリー財団の使命は、地域レベル、全国レベル、国際レベルの人道的、教育的、文化交流プログラムを通じて、ロータリーの綱領とロータリーの使命を遂行し、かつ世界理解と平和を達成しようとする国際ロータリーの努力を支援することです。 プロジェクトの多様性を明確にするために、RI理事会は、1990年に社会奉仕の小委員会を次の四つにしました。人間尊重、地域発展、環境保全、協同奉仕の四つです。社会奉仕委員会は、クラブ会員に、個人として、また、団体として、各分野のプロジェクトを実施するよう奨励しています。 国際奉仕の目標は、混迷する世界で友好的で平和な関係を育成、維持することです。創始者のポール・ハリスはかつてこう言いました。「私はためらうことなく、世界平和は達成できる、そして恒久平和を築くことができると断言できます。もし、人の役に立つこと、友情、寛容というロータリーの堅固な土台の上に世界平和をはぐくむなら」。ロータリアンは、人々の多くのニーズに応えるために、ロータリーの第4奉仕部門を通じて海をも国境をも越えることができます。 クラブの国際奉仕委員会は次の四つの活動分野に焦点を当てなければなりません: 1. 世界社会奉仕とマッチング・グラントなどのプログラム 2. 国際規模の教育的プログラム 3. 7月の識字率向上月間、2月の世界理解月間、11月のロータリー財団月間、6月のロータリー親睦活動月間などの特別月間とプログラム 4. 国際大会など国際的会合への出席 ロータリーの第4奉仕部門は、ロータリアンに、各地の人々の生活を高めるあらゆる機会を提供しています。ロータリアンは、他者に奉仕することにおいて、内外を問わず、人間のニーズへの理解を深めることができます。ロータリー奉仕の特徴は柔軟性にあります。ロータリーは決して静止してはならないというポール・ハリスの強い信念が次の言葉に投影されています。「世界は常に変化している。ロータリーはこの世界とともに変化し成長していかねばならない。ロータリーの物語はいくども書き替えられなければならない」。 ロータリーは、世界中で奉仕プログラムを遂行するために、クラブ・レベル、地区レベル、国際レベルで組織されています。この広大な国際ボランティア運動を円滑に運営し続ける鍵は、簡素ということです。襟ピンとしてロータリーの徽章、歯車を着用することを考えて下さい。この襟ピン一つで、ロータリアンということが世界中で分かります。24の輪歯(りんし)、6本の輻(ふく)、一つの楔穴(くさびあな)のある歯車は、いざ他者への奉仕となるとロータリアンが『活動する人』であるということを象徴しています。同様に、歯車は、組織としてのロータリーの機構の真髄を象徴しています。ロータリー運動の各部分は、他の部分と連結するよう設計されています。ですから、すべての人に最もためになるように全体が動くのです。 ロータリアンはロータリー・クラブの会員です。クラブは国際ロータリーという連合体に加盟しています。各クラブは役員と理事を選挙し、クラブ定款とRI定款細則の枠内で、実質上の自治を享受できます。ロータリー・クラブは、ロータリー地区にまとめられます。各地区を指導するのは地区ガバナーで、地区ガバナーはRI役員で、各地区でRI理事会を代表します。現在、世界には529のロータリー地区があり、34のゾーンに分けられています。日本の地区数は34です。 RI会長と会長エレクトを含む19人から成る理事会が国際ロータリーを運営します。理事会は年4回会合を開き、全ロータリー世界を代表するロータリアンから成る委員会の意見を参考にし、方針やプログラムを決定します。日本からは菅生浩三氏 (2002-04年度)と田中作次氏(2003-05年度)がRI理事として活躍しています。 運営機構は、クラブ・レベル、地区レベル、国際レベルの三つのレベルにおいて実施されています。 |
ロータリー・クラブ・レベル クラブ定款と細則 ほとんどすべてのロータリー・クラブが『標準ロータリー・クラブ定款』に従って組織されています。1922年に、米国ロサンゼルスで開催されたRI国際大会の代議員は、以後、連合体に加盟する全クラブが『標準定款』を採択することを決定しました。1922年前に加盟した多くのクラブも『標準定款』を採択しています。標準ロータリー・クラブ定款の条項には、クラブの名称、所在地域、綱領の受諾が含まれています。会合、会員身分、出席、入会金、理事および役員の役割に関する規定も含まれています。標準ロータリー・クラブ定款は多年にわたり改正を重ねてきました。ロータリーの規定審議会のみが標準ロータリー・クラブ定款を改正できます。標準クラブ定款が改正されると、規定審議会直後の7月1日に、各クラブはその改正を自動的に採択することになります。 『ロータリー・クラブ細則』は、指針として推奨されているものです。クラブは、必要に応じて細則を改正できますが、その改正はRI定款、RI細則、クラブ定款と合致した内容のものでなければなりません。ロータリー・クラブの細則は、採決の方法、委員会の任務、財務、決議、議事の順序などクラブ定款で取り上げていない分野を含みます。 クラブ入会 会員に推薦されて初めてロータリーに入会できます。各クラブは、クラブの存在する地域の事業と専門職務の横断面とならなければなりません。会員の職業分類は、建築、医学、出版業、銀行業、製造業、テレコミュニケーションなど、有益な仕事の全域にわたります。 会員身分の種類は2001年規定審議会の決定で正会員と名誉会員の2種類になりました。各クラブ会員は、クラブの所在地域内(以前の区域限界Territorial Limitから所在地域Localityに改正されました)もしくは周辺地域に事業場または住居を有しなければなりません。ロータリー・クラブの週例会への規則正しい出席が必要とされます。クラブの所在地域から移転する正会員は、その人が、同一の職業分類において活動し続け、会員としての条件を引き続き守るなら、会員身分を保持することができます。 移転の場合、移転しても元のクラブに出席し続けるという方法を選ぶこともできますが、長期にわたる転勤の場合、所属クラブと転勤先のクラブが合意すれば、転勤先のクラブに出席できます。この場合、ホーム・クラブ30%出席と言う規定が適用されません。また出席義務規定の特別免除 (special leave of absence) の適用をクラブ理事会に申請し、1年間、移転先のクラブに出席し、知り合いとなり、その後、移転先のロータリー・クラブに入会すると言う方法を選ぶこともできます。この場合、1年間に限りホーム・クラブ30%出席という規定が適用されません。 ロータリアンは、クラブ会員の特権を営利目的に使ってはなりません。ロータリアンは、地域と国のよき市民となれるように、その個人生活、事業および専門職務上の生活を整えなければなりません。また、各ロータリアンは、生活のあらゆる面において、家族、友達、同業者、一般の人々に、ロータリーの理想を示すよう期待されています。 ロータリー・クラブの会員であることの本当の意味は何でしょうか? 「ロータリーの会員であることは、私たちみんなに非常に多くのことを与えてくれた社会に何かを返す機会と力を、団体としての努力を通じて、個人に与えてくれます」と、英国エセックス、イルフォードRCの元RI副会長のロイ J.A.ホイットビー氏が語っています。「ロータリーの会員であるため、いろいろな国と文化に属しているが志を同じくする人との親睦と交流の機会に恵まれます。他の人の見解や信条に寛大になれます。とりわけ、同胞を愛するようになります」。 クラブの指導者 『指導力とは、地位でなく行動です』とかつて言った人がいます。これは、ロータリー・クラブの役員と理事についても同じことがいえます。ロータリー・クラブの役員と理事は、4大奉仕部門にクラブが取り組めるよう指導することを要請されています。 各ロータリー・クラブは理事会によって運営されます。理事会を構成するのは、クラブ会長、会長エレクト、1人または数人の副会長、被選理事です。他のクラブ指導者は幹事、会計、会場監督で、この人たちは、クラブ細則によって理事であっても、なくても構いません。クラブ指導者とその任務を次に挙げます。 理事会は、クラブの管理運営の責任を負い、すべての役員と委員を総括的に監督します。新会員の推薦申込があった場合は、その諾否を決定します。また、会合の開催日時と場所を決定します。さらに、クラブの予算、クラブ資金の監査、委員会組織案を承認します。理事会の決定は最終であって、クラブ会員が提訴する以外に覆すことはできません。 会長は、選挙により会長を務めることとなったロータリー年度の7月1日に就任し、翌年6月30日までの1年間在任します。会長は、クラブの指導者として、クラブと理事会の会合の議長を務め、ロータリーの奉仕プログラムの推進を監督します。会長エレクトのときに、会長エレクト研修セミナー(PETS)と地区協議会に出席しなければなりません。副会長は、会長不在のとき、議長を務め、その他、その役職に関係する任務を果たします。幹事は、会員の記録を整理保管し、すべての会合の通知を発送し、半期報告を始め、RI事務局に提出を義務づけられているいろいろな報告づくりに当たります。さらに、幹事はクラブ例会の月次出席報告書を地区ガバナーに送り、ロータリーの雑誌購読料の徴収と送金をします。クラブ記録の保管も幹事の役目とされています。会計は、クラブ資金を管理します。会計は、毎年1度、また、理事会の要請に応えて、会計報告を行います。会計の主たる目標は、収支のバランスのとれたクラブ予算を作成することです。会場監督は、クラブ会合の場所の準備を整え、秩序を保つことを担当します。座席を適切に配列し、速やかに食事を出し、マイクをいつでも使えるようにしておくのが会場監督の典型的な役割です。 ロータリー・クラブの指導者はどうすれば就任早々順調なスタートを切れるでしょうか? アルゼンチンの第4810地区の元地区ガバナーのジューリオ・セイザー・スカラフィア氏は、次のように助言しています。「ロータリアンは、これまでも、これからも、よき行いと奉仕を実践し、それについて語ろうとする人です。行動にとりかかって下さい。障害があっても恐れないで下さい。障害を乗り越えて下さい。障害をものともせず成功を収めて下さい。創意と手腕を発揮して下さい。あなたの信念と熱意を信頼して下さい。時には傷つくこともありますので、その覚悟をして下さい。落胆することがあっても、立ち上がれるようにして下さい。成功はあなたのものです--そして、ロータリーのものです。あらゆるレベルで、指導者として一層力を注げば、それだけのことは必ずあります」。 クラブ委員会 すべてのクラブ委員会は明確な目的意識をもっていなければなりません。米国のユーモリストのフレッド・アレンは次のように言いました。「個人として何もできない人々が集まっても、何もできない、と決定するだけだ」。そのような委員会にならないようにして下さい。クラブ委員会がその効果を上げるためには、どちらかというと、行動を起こす力を結束しなければなりません。まず、ロータリー・クラブは、必要以上の委員会を設置すべきではありませんが、多すぎるというのはいくつでしょうか? 推奨ロータリー・クラブ細則の第7条と第8条には、国際ロータリーが設置するようクラブに勧めている委員会が記されています。委員会の数と活動範囲は、各クラブで決めます。ほとんどのクラブは、推奨委員会組織案の下で運営しています。これは、いろいろな活動の総合調整計画といえるもので、各委員会がその役割の実行に当たってクラブの理事会と他のすべての委員会の協力を得るということが前提になっています。この組織案は、委員会間の努力の重複を最小限に抑えています。 委員会組織は4大奉仕部門に沿ったものでなければなりません。つまり、クラブ会長が奉仕部門内の活動を調整、監督する理事を1名、奉仕部門ごとに任命します。委員会(小規模のクラブの場合、個人ということもあります)は、理事に対して、責任を負います。委員会は、奉仕プロジェクトと活動を遂行し、週例会のクラブ・プログラムを企画します。 クラブの週例会 食事またはお茶を兼ねての快活で楽しい週例会は、活動的で熱心なロータリー・クラブとその奉仕活動の発火点となります。ポール・ハリスと3人の他の共同創始者が第1回の会合後も会合を開き続けることに同意しなければ、ロータリーは決して誕生しなかったということを考えて下さい。 標準ロータリー・クラブ定款に従って、クラブは毎週1回会合を開かなければなりません。但し、例外は2001年規定審議会で採択された試験的ニュー・モデル・プロジェクトで、世界で200までのクラブが独自の定款に基づいて運営されており、隔週例会を開催することも可能になりました。日本では3クラブ(東京高輪、足利東、春日部クラブ)が参加しています。クラブは、クラブ細則に規定された曜日と時間に開催され、プログラムは、1年のうちに4大奉仕部門のすべてを取り上げるよう期待されています。地元地域社会と他国の地域社会の両方で生活の質を高めるプロジェクトに参加するよう会員に奨励しています。寸劇、討論、パネル討論、クイズ、その他の特別プログラムに会員が多数参加すれば、週例会への関心も増すし、クラブの親睦も深まります。 規則正しい出席は、会員の条件として定められたものです。例会時間の少なくとも60パーセントに出席したとき出席とみなされます。健康上の理由、ロータリー・クラブのない国への長期にわたる旅行による欠席は、やむを得ないものとみなされ、出席規定の適用を免除されます。ロータリアンは、欠席した例会の直前14日間、直後14日間に別のクラブに出席することによりメークアップすることができます。しかし、ロータリアンが正当な理由なくして連続4回クラブ例会に欠席し、メークアップもしない場合、会員身分は自動的に終結していましたが、2001年規定審議会の決定で、クラブ理事会は、その会員が退会を希望しているとみなし、その旨通知することに改正されました。その通知後初めてクラブ理事会は理事会の過半数でその会員の会員身分を終結させることもできます。 ロータリアンの会員証は、ロータリー世界のどのクラブの会合の入場券にもなります。旅行中のロータリアンのメークアップの有益な指針は公式名簿(Official Directory)です。公式名簿は、各地のロータリー・クラブの例会時間と例会場を載せています。しかし、各半期ごとに、会員は所属クラブの例会総数の少なくとも30パーセントに出席しなければなりません。 クラブ協議会 クラブ協議会は、週例会と対照的に、会長がクラブ役員、会員、委員に情報を伝達することを目的として年度中いろいろな折に開催されています。このクラブ協議会は、会長が委員会のプログラム計画の進展状況に耳を傾ける格好の機会です。また、どうすれば奉仕プロジェクトを効果的なものにするかについて意見の交換を奨励する機会でもあります。 年度中4‐6回のクラブ協議会を開くことが推奨されています。クラブによって開催日が異なる場合もあります。 1. 地区協議会の直後(会長エレクト)が主催します 2. 7月1日後:年度計画について話し合い、年度計画を採択します。 3. 公式訪問の2週間前 4. 公式訪問中:ガバナー補佐と地区ガバナーとクラブの現況を話し合います 5. ロータリー年度の半ば:目標への進展状況と年度後半のクラブ・プログラムの決定 6. 地区大会の後:クラブ計画を完了させるためのアイディアや提案について話し合います クラブ協議会では奉仕プロジェクトや活動、会員増強・退会防止、地区大会や他の会合への出席などについて話し合い、また、会員の教育の場となり、会員の奉仕活動への関心を喚起します。 仮ロータリー・クラブ 新クラブ結成に必要な職業分類の存在する地域があれば、ロータリー・クラブの加盟を申請できます。クラブの区域限界が所在地域に改正されたのに伴い、新クラブの結成はより容易になりました。毎週例会を開くようになっても、正式に加盟が承認されるまでの期間は仮クラブと呼ばれます。仮クラブへの出席も通常のロータリー・クラブと同じようにメークアップとみなされます。創立会員は20名以上いなければなりません。 |
地区レベル ロータリー地区 ほとんどすべてのロータリー・クラブが地理的な地区に分類されています。各地区少なくとも75クラブ、2,700名の会員を有することが奨励されていますが、この条件を満たせない地区もかなりあります。各地区は、地区ガバナーによって直接監督されています。地区ガバナーは、地区内クラブによって指名され、国際大会で選挙されるRI役員です。ガバナーの総合的使命は、地区内クラブがロータリーの綱領を推進するのを援助することです。 地区ガバナー 地区ガバナーは、RI理事会の方針とRI定款細則に従って、地区内クラブを直接監督します。地区ガバナーは、RI役員として、RI理事会の総括的管理下に置かれます。地区ガバナーは、RIの管理に沿って、地区内クラブがロータリーの奉仕の理想を遂行するよう援助します。地区ガバナーは、任期中、新クラブの結成と会員増強を奨励し、ロータリー財団プログラムへの参加と財政支援を推進します。また、地区大会を計画、主催します。ガバナー月信を発行します。地区ガバナーは、ガバナー・エレクトのときに、国際協議会に出席しなければなりません。その後2月中に地区チーム研修セミナーを開催し、3月中に、会長エレクト研修セミナー、4月もしくは5月に地区協議会を開催しなければなりません。 ロータリアンが地区ガバナーに指名される資格条件は何でしょうか? まず、クラブの正会員でなければなりません。就任までに少なくとも7年間ロータリー・クラブに在籍しなければなりません。1年間ロータリー・クラブ会長を務めたことがあり、ロータリーについての実際的知識があり、管理能力には定評があり、かなりの時間とエネルギーをロータリー責務の遂行に費やす意思がなければなりません。 韓国のロータリアンの文昌模氏は、80歳でガバナー就任を要請されたとき、次のように答えました。貧しい人々のために1日16時間診療所で医師として働いていました。この事実がロータリー地区指導者の激務をこなせるかという疑念をすべて払拭しました。文昌模氏の奉仕の信条は『神は二つの目を与えてくれた。しかし、私たちは自分を見ることはできない。他の人を見るだけだ。本当に思いやりをもつということは、他者への奉仕に生きることである』というものでした。 地区リーダーシップ・プラン 1987-88年度に当時のRI会長のチャールズ・ケラー氏が長期計画委員会を設置しました。その最終報告は1992年にRI理事会に提出されましたが、国際ロータリーの基本的管理単位の地区に関する二つの主要問題が浮き彫りにされました。一つは、毎年新クラブが多数加盟し、そのために労力を割くため、地区組織の効率が危機にさらされている、ということです。もう一つは、最も適任の人が毎年ガバナー職に就任するには、地区ガバナーに期待する業務時間と直接監督を減らさざるを得ない状況になっていることです。同委員会は、その勧告案で、地区の内部組織を変更することによって「最大の能率、効果、費用の削減を達成すること」をロータリーに要請しました。委員会の構想する地区管理機構案は、以前ならガバナーだけが遂行するものとされてきた任務の委任を認めるものでした。その結果、事務総長は、RI理事会の要望を受け、1992年国際協議会で、地区組織の改正のための3年間の試験的プログラムを発表しました。これが地区リーダーシップ・プランです。12地区から試験的にスタートした地区リーダーシップ・プランは、2002年7月にはすべての地区が採択することになり、ガバナーはガバナー補佐を任命して、その責務の一部を委任しています。 地区大会 年度における地区の会合で最も重要なのは、地区大会です。地区大会は、ミニ国際大会とも言えます。地区大会は、会期2日か3日で、地区にとって最適のときに開くことが推奨されています。地区ガバナーとクラブ会長の過半数が合同で期日を決定しますが、地区協議会、国際協議会、国際大会、ロータリー・ゾーン研究会とかち合わない日にします。 地区大会は、親睦、基調講演、グループ会議、フォーラム、展示などを通じてロータリー・プログラムを推進します。通常、現在のRIテーマに焦点を当てます。すべてのロータリアンもその家族も、青少年交換学生、インターアクター、ローターアクター、研究グループ交換チーム・メンバーとともに、出席を歓迎されますし、奨励されています。地区大会にはRIの会長代理も出席します。会長代理は、基調講演とロータリーの現況報告をします。 地区大会はまた、3年に1度開催されるRI規定審議会で審議される立法案を提出する権限もあります。時には地区大会の講演者の1人が、ロータリーの理想または目標にふさわしい見解を有する著名人である場合もあります。例えば、旧ソ連の指導者、ゴルバチョフ氏や米国のテレビ・ジャーナリストのビル・モイヤーズ氏も地区大会で講演しました。ロータリー情報、感銘を与える講演、討論は地区大会の建築用ブロックです。親睦は接着剤です。また、地区大会は、娯楽性の高い余興番組で味付けをしてあり、ロータリアンと家族に、旧交を温め、新しい友人を得る機会を与えます。地区大会については、地区の裁量が大きくなっています。2日以上3日以内の会期は推奨事項であり、ロータリー関係に9時間充てるということも必ずしも必要とされないようになりました。 地区チーム研修セミナー ガバナー・エレクトが、自分がガバナーを務める年度のガバナー補佐、地区委員などの地区指導者チームをまとめるためのセミナーで、クラブが、会員増強、財団支援、指導者育成に力を発揮できるよう支援するものです。2月中に丸1日をかけて開催されます。 会長エレクト研修セミナー 国際協議会後に、ガバナー・エレクトは会長エレクト研修セミナー(PETS)を開かなければなりません。このセミナーによって、クラブ会長エレクトは、次期RI会長のテーマとロータリー・プログラムを実施する準備が整うのです。また、会長エレクト研修セミナーにより、クラブ会長エレクトは、新ロータリー年度のクラブと地区の活動を企画し、指導者のやる気を起こし、地区運営についての情報を提供できるのです。3月中に、食事と休憩を除き12時間、開催することになっています。 地区協議会 PETS終了後の4月、5月中に、食事と休憩を除き7時間、開催することが奨励されています。すべての次期ロータリー・クラブ会長、幹事、重要な指導者が出席します。地区協議会は、ミニ国際協議会のような形式で、教育方法と分科会を活用して、次期クラブ役員がロータリーの奉仕プログラムを推進する任務を把握できるようにします。クラブ役員は効果的なクラブ運営について学び、次年度の奉仕目標の達成方法について意見を交換します。クラブ役員は毎年7月に入れ替わりますが、ロータリー奉仕に継続性を与えるのが地区協議会です。地区ガバナー・エレクトは、地区ガバナーと協力して、地区協議会を計画、主宰します。 地区指導者育成セミナー 地区大会の直前直後に、クラブ会長またはクラブ指導者を3年以上務めたロータリアンを対象に、会期丸1日の地区指導者育成セミナーを開催することが推奨されています。 |
国際レベル 国際ロータリーの管理 国際ロータリーは、ロータリー・クラブの連合体として、RI定款と細則によって統轄されています。ロータリーの『法律』であるRI定款細則は、1922年に米国カリフォルニア州ロサンゼルスで採択されました。定款には、ロータリーの名称、目的、綱領、RI会員としてのクラブ、クラブ会員としてのロータリアンの規定など16条を載せています。RI細則は24条から成り、会員身分、RI理事の権限と任務、RI役員の資格と選挙などを規定しています。また、RI理事と他の役員の指名、クラブの管理、国際大会、ロータリー財団、人頭分担金の支払なども規定しています。ほかに、立法手続、財務事項、機関雑誌(ロータリアン誌)と公式地域雑誌の購読なども規定されています。 国際大会 RI年次国際大会は、大きな会合で、華やかで教育性があり感動的なもので、本会議、親睦活動、世界的声価の高い講演者などの番組が織り込まれています。最初の大会(まだ米国にしかロータリー・クラブがない時期で国際大会ではなく単に大会です)は米国イリノイ州シカゴで1910年に開催され、米国の60人のロータリアンが集まりました。スコットランドのエジンバラは、北米以外で国際大会が開催された最初のところです。エジンバラ国際大会は、1921年に開催され、2,523人の出席者が集まりました。記録的な39,000人以上のロータリアンとゲストが集まったのは、日本の東京で開かれた1978年国際大会です。2004年大阪国際大会は既に登録者数が東京国際大会を上回り、さらに、2005年の100周年シカゴ国際大会は、大阪国際大会を上回る規模を目標としています。 国際協議会 『入りて学び、出でて奉仕せん』は、国際協議会の本会議が開かれる会場の上に数カ国語で書かれています。この言葉は、協議会の実質と精神を表現しています。国際協議会は、毎年、国際大会の前に開かれています。この重要な会合に出席するのは誰でしょうか? RI中央役員、次期中央役員、地区ガバナー・エレクト、委員長、その他RI理事会が指定した人たちです。 地区ガバナー・エレクトにとっては、協議会は、来る年度中ロータリーのプログラムと活動を実施する方法を討議、計画するための「学校」です。最初の国際協議会は、1919年に米国イリノイ州シカゴで開かれました。以来、毎年、次期ガバナー (現在は地区ガバナー・エレクトが国際協議会で研修を受けますが、当初はガバナー・ノミニー)は、ロータリーの行動計画を自分の国のロータリアンに伝える準備を整えて国際協議会から羽ばたいていきました。すべての参加者にとって、協議会は、親睦という飛躍台を通じて強力な目的意識に目覚め、ロータリーの国際性を認識させてくれるものなのです。 ロータリー・ゾーン研究会 ロータリー・ゾーン研究会はRIの元、現、ガバナー・エレクトや他の役員にロータリーのプログラムや哲学に関する最新の情報を提供するものです。各研究会は、会期およそ2日半くらいで、一つまたはいくつかのゾーンを構成する地区の役員のために開催されます。元、現および次期役員は、指導を受け、意欲を高め、親睦を楽しみながら、ロータリー指導者としての責務やそのための創意にあふれる方法について知識を深めます。ロータリー・ゾーン研究会は草の根レベルでロータリー運動を強化するアイディアの源泉でもあります。元、現、次期RI役員の国際研究会は、国際大会の開催地で国際大会直前に開催されるのが普通です。ロータリーのプログラムやRIの管理運営上の事柄について非公式に話し合います。 規定審議会 規定審議会は、国際ロータリーの立法機関で、組織内から提出された制定案と決議案について審議、決定します。クラブが提出する方法はまず地区に提出し、その審査を受け、できればその承認を受けます。地区大会またはグレート・ブリテンおよびアイルランド内RIの審議会または大会、RI理事会が提出することもできます。規定審議会自身でも提出することができます。 審議会は、米国ミシガン州デトロイトの国際大会の諮問機関として1934年に創設され、1970年アトランタ(米国ジョージア州)国際大会でロータリーの立法機関となりました。規定審議会は国際大会の一部でしたが、一部ではなく独立させようという制定案が採択されたのは、1977年のサンフランシスコ国際大会です。審議会は現在世界各地で3年おきに開催されています。世界中の500人以上の代表議員が審議会を構成します。投票権を有する議員には、各地区内クラブによって選挙された1名の代表議員が含まれます。投票権を有しない議員は、特別議員、RI定款細則委員会、審議会議長と副議長、RI会長、理事、RI元会長、その他です。 審議会の会合の特徴は、豊富な情報に基づく討論、歩み寄り、改正、過半数による決定です。審議会で採択された制定案と決議案は、全ロータリー・クラブの賛否の検討を経て最終となります。非常に影響力のある決定の一つとして、審議会は、1989年に、すべてのロータリー・クラブが適格の女性を会員として入会させることを認めました。国際大会、規定審議会、理事会の決定により設けられた方針と手続は、手続要覧に概説されています。手続要覧は規定審議会後に改訂されます。 国際ロータリーの役員 RIの役員はロータリーの運営において、指導力を発揮し、調整と指導をし、コミュニケーションを図り、やる気を起こします。国際ロータリー役員は、会長、会長エレクト、副会長、財務長、その他の15人の理事、事務総長、地区ガバナーです。 国際ロータリー会長は、全ロータリー組織の指導者です。会長は、会長エレクトとして1年間、会長として1年間、計2年間理事会のメンバーを務めます。会長としての任期中、RI理事会の議長を務め、RI理事会を主宰します。会長は、会長指名委員会を除いて、すべての常任委員会と特別委員会の職権上の委員です。さらに、会長は、国際大会を主宰します。 1950年以来、歴代RI会長は、毎年テーマを選び、このテーマが、任期中のロータリー奉仕実践の鍵となります。会長の任期は、国際大会で選挙されたロータリー年度の次の年度の7月1日に始まります。RI会長は、RI世界を代表して、各国の元首や他の政府指導者と会談するとともに、ロータリーの活動状況を目のあたりにし、クラブの合同会合その他に出席し、ロータリアンにロータリーのプログラムを遂行するよう奨励します。近年、1人の会長が70カ国も旅行し、その距離は40万キロメートルにも及びました。旅行していないときは、米国イリノイ州エバンストンのロータリーの世界本部で執務しています。 日本から2人のRI会長が選ばれています。1人は東京ロータリー・クラブの1968-69年度RI会長のジョージ 潔 東ヶ崎氏です。 ジョージ 潔 東ヶ崎氏は、その名の示す通り、二つの文化を背負っています。東ヶ崎氏は、1895年に米国カリフォルニア州で生まれましたが、成人してから日本で長く暮らしました。父親は、1886年に19歳の判事として米国を訪れました。日本で判事を務めるには2年若すぎたのです。そこで、父親は同じく日本から米国を訪問中の若い女性と出会いました。二人は、帰国し、結婚し、再びサンフランシスコに戻りました。二人は8人の子供に恵まれましたが、ジョージは最初に生まれた子供でした。 当時の日本人移民は多大の苦労をしましたが、東ヶ崎家の子供たちは、立派な教育を受けました。ジョージがカリフォルニア大学バークレー校に入学したとき、第1次世界大戦が勃発しました。ジョージは、フランスに渡り、ベルダンで兵役につきました。戦後、ジョージは、医師になるつもりでしたが、父親は事業に進むよう提案しました。成功までの期間が短いし、兄弟の学業を援助できるからです。ジョージは、商用で日本に来たとき、日本女性と出会い、結婚しました。そのとき、米国移民法が通過し、その女性は米国に居住することができなくなりました。ジョージは、数年間、日本と米国を往復しましたが、その後、ジョージは、仕事を日本に移しました。語学力と米国通という手腕は貴重なもので、米国経済使節団の通訳を務め、日米協会のために尽力し、日米の文化や通商面で活躍しました。 両国の戦争は、ジョージに計り知れないほどの痛手を負わせました。友達の尽力でジャパン・タイムズのマネージャーとして働くことができました。その縁で、ジョージは、水曜クラブに入会しました。水曜クラブは、戦争中のロータリー・クラブの別名でした。日本のクラブは1940年代後半にロータリーに復帰し、ジョージは、1955-56年度東京ロータリー・クラブ会長に選ばれました。翌年、ジョージは、フィラデルフィア国際大会で講演し、またたくまにRI会長になりました。 事業でも、トップまで昇りつめました。ジャパン・タイムズの顧問になり、富士海外旅行社の社長、日本バイブル協会、日米協会、その他いろいろな団体で役員を務めました。ジョージは、日本と米国から数々の勲章を受け、1992年2月7日に東京で亡くなりました。享年96歳でした。 東ヶ崎氏は1968年メキシコ国際大会で次のように語っています。 「慈愛は我が家から始まる、という諺があります。これは今も変わりません。遠い国について考察するのはよいことだし、必要なことです。でも、あなたの町の問題に関心を寄せるのも大切です....私たちは、まさに自分自身の地域社会で、多種多様な奉仕の機会に恵まれているのです」。 もう1人は、中津ロータリー・クラブの1982-83年度RI会長の向笠広次氏です。 精神科医の向笠広次氏は、九州の久留米市の医師の家に生まれました。父も祖父も叔父も兄弟も2人の子息もすべて医師です。向笠氏は、九州帝国大学で精神科を学びながら、...人類はひとつと確信するようになりました。また、すべての人々が本能的に平和を求めると信じました。 孫が先祖の人数を知りたがったとき、次のように答えたものでした。「20世代経過すると、100万人の先祖をもち、30世代では、10億人、40世代を経過すると、1兆人の先祖をもつことになります。要するに私たちはすべて『いとこ』なのです」。 九州帝国大学医学部を卒業してからも、同大学の精神病教育センターで研究を続けました。後に、中津市で、精神科医院を開院しました。向笠氏は、電気ショック療法のパイオニアで、向笠氏の考案した研究設備は、ワシントンD.C.にある米精神医学協会に常時展示されています。向笠広次氏は、1957年に中津ロータリー・クラブに入会すると、「人類はひとつ」という点でロータリアンが自分と同じ信念をもっていることに程なく気付きました。向笠氏は、クラブ、地区、RIにおいて熱心にいろいろな役職を務めました。根っからの国際人でしたので、特に国際レベルの役職を楽しみました。喜代子夫人とは学生結婚で、関心事は二人とも共通していました。二人は、ロータリーにおいても、旅行、読書、絵画、文学、クラッシック音楽、きのこ採りなどにおいてもボランティア奉仕においても非常に熱心でした。二人は、世界各地できのこ採りに情熱を傾け、きのこを選別し、調理し、世界中のロータリアンの友人にご馳走していました。ご夫妻は、向笠氏が1992年10月に亡くなるまで、ロータリーの友情の橋をかけ続けてきました。 向笠氏は、1982年ダラス国際大会で、次のように述べています。 「人間の考えには似たところがあります。どの国の芸術であっても称賛できます。どの国のことでも、素晴らしい行為には感動します。どこかの国に悲劇が発生すれば、私たちは涙をこぼさずにいられません。こういった事実は、他の何よりも、世界のいたるところで考え方が似ていることを裏付けています」。 RI理事会 RI理事会は、国際ロータリーの管理主体です。RI理事会は、定款細則に沿って、RIの業務の運営を担当します。RI理事会は、細則の下に、RIの目的とロータリーの綱領達成を推進することを担当します。そのために、理事会はロータリーの基本原則の研究と教育を推進し、ロータリーの理想と倫理を保ち、世界中にロータリーの発展を助長することに努めます。また、理事会は、RIの全役員と委員会の全般的管理監督に当たります。 理事会は、定例の理事会と理事会のあいだに理事会に代わってRIの方針に関する決定をする5名から7名のメンバーから成る執行委員会を創設する権限を与えられています。RIの副会長は、新ロータリー年度の第1回の会合で理事の中から次期副会長が選任します。理事はロータリー世界の代表者です。任期は2年です。議長のRI会長、副会長、財務長、会長エレクトも理事会のメンバーです。RI財務長は任期2年目の理事から理事会が選挙します。財務長は、理事会に直接報告し、財務委員会の委員を務め、事務総長の財務運営状況を監督し、国際大会で年次報告をします。事務総長は、RIの常務役員として、理事会とロータリー財団管理委員会の幹事です。事務総長は審議を補佐しますが、投票権は有しません。事務総長は、会長の監督と理事会の統括の下に、事務局と職員の仕事の全責任を負います。事務総長は、理事会の承認した年次報告をRI国際大会に提出します。理事会は事務総長を選任しますが、事務総長の任期は5年までです。任期の最終年に、現職の事務総長が再選されるか、後任が選ばれます。RIの初代事務総長は、チェスリーR.ペリーで、ポール・ハリスはペリーを『ロータリーの建設者』と呼びました。ペリーは、1910年から1942年まで事務総長を務めました。 ロータリーの指導力の特徴の一つは継続性です。1990-91年度RI会長のパウロ V.C. コスタ氏は、就任早々にカナダの地区の会合で、ロータリー指導者の引継を古代オリンピックの聖火リレーにたとえました。走者は聖火をかざして走り、次の走者に聖火を手渡すことに触れ、次のように語りました。「走者の多くは、最終点を見ることはありません。毎年、クラブ・レベル、地区レベル、国際レベルで指導者が交替してもロータリーの枠内で最高の成果を繰り返します。友達の皆さま、私たちはすべてロータリーの聖火の担い手なのです」。 RIの委員会 委員会はロータリーの運営のあらゆるレベルで不可欠のものです。RI委員会は、財務、定款細則、選挙審査、国際大会その他に関する事柄を研究し、理事会に勧告します。理事会は、事務総長の勧告と併せ委員会の提案を受理、否決、変更することができます。 RI会長は、委員を任命する権限を与えられています。会長は、自ら設置した委員会の委員長を任命し、欠員があれば補充します。また、会長または理事会は、特別委員会、アド・ホック委員会の委員、また高齢者への心づかいや薬物濫用防止などの実行グループ(Task Force)のメンバーを任命することができます。これらの委員会や実行グループは、理事会の定めた職務権限の下にその職務を遂行します。特別委員会の任期は1年です。アド・ホック委員会は、その任務が終了するまで、または理事会によって解任されるまでを任期とします。さらに、理事会の裁量で、地域の諮問委員会を設置できます。 会長指名委員会はRI細則に従って選挙されます。他のほとんどの委員会と同じく、会長指名委員会委員の国籍は多様です。しかし、会長指名委員会は、その決定に理事会の承認を得ることを必要としない唯一の委員会です。 元RI会長審議会は、元RI会長の広範囲にわたる経験を活用する常設の審議会です。元RI会長にロータリーの現在および長期プログラムを研究するよう要請します。 ロータリーの財務 国際ロータリーの収入の70%は、各クラブの納入する人頭分担金です。RIの財務委員会は、事務総長と協力し予算を作成し、理事会に提出します。予算が採択されますと、予算に従ってRIの支出が行われます。投資諮問委員会は投資に関する事柄について理事会に助言し、プロの投資マネージャーの投資実績を監督します。 |
皆さまの援助源 RI事務局 国際ロータリー事務局は当初16のクラブに奉仕するために1910年に最初のロータリー・クラブ発祥の地、シカゴに本部を置きました。以後、数カ所の貸ビルを転々としました。1954年に、RIは、シカゴの北郊、エバンストンにロータリーが建築、所有する建物へと移転しました。しかし、1987年には、その建物が手狭になり、長期的観点からスペースの問題を解決するためにエバンストンの近代的18階建てビルを購入し、現在に至っています。1991年に中央事務局の名称を世界本部に変えました。RI事務局の唯一の目的は、ロータリアンの奉仕活動を援助することです。 RI事務局は、ロータリー世界本部、七つの事務局(International Office)から成り、運営およびプログラム上の援助を組織全体に提供しています。七つの事務局は、スイス、日本、インド、オーストラリア、ブラジル、アルゼンチン、韓国に置かれています。日本事務局は,東京の赤羽にあり、四つのセクションに分かれ、業務を行っています。奉仕室、資料室、経理室、財団室があり、皆さまのお役に立ちたいと日々努力しています。 日本事務局の歩みをたどりますと、最初は東京文献事務所という名称で、1964年3月に開設されました。英文のロータリー参考資料を翻訳出版し、注文に応じて郵送することを仕事としていました。当時は、翻訳室と資料室の二つがあり、最初の文献代行者は柳瀬省吾氏で、次いで1967年に田 誠氏、1973年に松本兼二郎氏、1978年に入江直祐氏が文献代行者となりました。この優れたロータリアンたちが、今日のロータリー出版物、ロータリー用語の翻訳の基礎をつくりました。その後、1981年に、文献事務所は日本支局となり、文献代行者という制度は廃止されました。この時、従来の翻訳室と資料室のほかに奉仕室が創設されました。ここから、いわゆるロータリー業務がスタートしました。新クラブの申請、公式訪問の報告などを日本語で記入して提出できるようになったのは日本支局になってからです。 さらに、1985年には在日財務代行者が日本支局に統合され、財務室が創設されました。在日財務代行者制度は日本では廃止されましたが、世界では、まだ米国への直接送金が難しい国もありますので、かなり利用されています。支局は1995年7月にサービス・センターと名称を変えました。1999年3月に人件費の高騰を理由として翻訳室が廃止され、出版物はすべて米国で翻訳することになりました。2000年10月に財団室が設けられ、従来の財務室は経理室と名称を変えました。2001年7月1日より、国際ロータリー日本事務局と改称され、現在にいたっています。 雑誌 機関雑誌で、RIの最も優れた定期刊行物のロータリアン誌は英語で出版されています。読者はロータリアンもロータリアンでない人も含め50万人を超えています。ロータリアン誌は、ロータリアンに関心の深い主題を報道するとともに、ロータリー・ニュース、奉仕プロジェクト、行事と歴史を生き生きと描いています。ロータリアン誌の購読は米国、カナダ、RI理事会の指定した地域のクラブ会員の義務です。日本のロータリアンは英文のロータリアン誌を購読しなければ、公式地域雑誌のロータリーの友を購読することが義務です。ロータリアン誌と地域雑誌を総称して『ロータリー・ワールド・マガジン・プレス』と言います。インターネットを利用される方はロータリーのホームページ(http://www.rotary.org)やロータリー・ジャパン・ウエブ(http://www.rotary.or.jp/index.html)もご参照下さい。 ロータリー章典 RIの方針や手続、組織規定を知りたいとき、ロータリアンはどの参考資料を調べるでしょうか? 手続要覧はもちろん優れた参考資料ですが、規定審議会の終了後、3年に1度しか出版されません。新しい手続要覧ができるまで、その間のRI理事会やロータリー財団管理委員会による改正を知りたいとき、どうすればよいでしょうか。そのための資料がロータリー章典です。残念ながら、英語版しかありませんが、ロータリーのホーム・ページに改正の都度、新しいロータリー章典が載っています。このロータリー章典は、理事会決定の年度も明記されており、極めて貴重な資料です。手続要覧は、白のページと黄色のページで構成されています。黄色のページは定款細則など組織規定で、白のページは理事会と管理委員会の決定などロータリーやロータリー財団の方針です。ロータリー章典はこの手続要覧の白のページに該当します。 参考文献:ロータリアン必携、手続要覧、ロータリー章典 編集者 RI研修リーダー 黒田正宏 RI研修リーダー 上野 孝 RI研修リーダー 川尻政輝 文責 RI日本事務局財団室長 片岡暎子 作成日 2004年4月27日 |