慈愛の種を播きましょう

2002−03年度国際ロータリー会長
 ビチャイ・ラタクル
  
親愛なる同僚のロータリアンの皆さん:
私たち一人一人にとって、ロータリーは皆それぞれ違った特別の意味を
持っています。クラブ内における温かい友情を大切に育てる人が居るでしょう。
一方また、奉仕と援助を必要としている人々に尽くす機会を、とりわけ高く評価する人も居るでしょう。いずれにせよ、大部分の人々は、世界中隅から隅まで奉仕という点で極めて効率よく私たちを結びつけている国際精神に、ロータリーの価値を見出しているのです。
 
まさしくただ今現在、ロータリーの名において、数え切れないほど沢山の活動が行われています。ただ、たとえ私たちが何をするにしても、その中には終始変わらぬ一つの基本があります。
 
それは、ロータリーにおける最善の親睦、奉仕は、常に愛の真心から出たものだ、ということです。ひとたび慈愛の心が私たちの行動に吹き込まれると、私たちは時間や金の犠牲などに躊躇してはおられません。私たちはより多くのことを成し、より多くのものを与えようと奮い立たされます。まさに慈愛こそ、すべてロータリーの仕事を背後から支えて、これを最善のものにする原動力なのです。
 
かつてマザー・テレサがこう言いました:「どれだけ沢山の物を与えるかではない、大切なのはどれだけ満ち溢れる慈愛をこめて与えるかです。」と。私たちの行動が慈愛に発するものであるなら、それは正真正銘一層効果的なものとなり、奉仕を受ける人々の心情に深く深く沁み透るでしょう。
 
私たちロータリアンは、自分自身十分に慈愛の心を備えているのですが、私たちの前途に横たわる壮大な目標を達成するためには、私たちの信条と負託を共有してくれる人々がもっと沢山必要なのです。私たちの組織の永続を確実なものにする最善の方途は、出来るだけ沢山の人々の心に慈愛の種を播くことです。
 
されば2002−03年度、全ロータリアンに向かって私が強くお願いしたいのは、正にこの一語です:慈愛の種を播きましょう −あなたのクラブに、あばたの職場に、あなたの地域社会に、そして世界中のありとあらゆる場所に。
 
ロータリーは慈愛の種を播く無数の道を示す
 
国際ロータリーとロータリー財団のプログラムによって−私はあなたがた自身のインスピレーションと自発的創意で、上意下達ではなく、草の根レベルから立ち上って動くことを強く求めるものですが−私たちの専門能力を最も必要としている所に、私たちは一役買って出ることが出来るのです;即ち若者たちが現在の困難を乗り越えて、明日の指導者になれる様に応援する;国境を越えた奉仕の協力体制を発展させる;またポリオ撲滅に関する私たちの誓約を完遂する、など・・・・・
 
私たちのクラブや地域内でも、私たちは身辺地帯の改善から、更に広い地域社会に対する力強い貢献に到るまで、さまざまの方策があります。
 
私たちは新しいプログラムやプロジェクトを作る必要はありません;私たちは現在あるものに一層多くの関わりを持ち、直接自分で手をつけることに、今すぐ取りかかれるのです。奉仕というものが愛の真心から発し、自分の経験に裏打ちされている限り、私たちは単なる小切手を書くのではありません;私たちは自分の人生にロータリーを書き込むのです。
 
私の願いは、2002−03年度、真実ロータリー奉仕の喜びをすべてのロータリアンに直接味わって頂くこと
 
その喜びは、あなたの指導に従ってひたすら読み方を覚えようと、勉強に熱中している子供から来るかも知れません。それはまた、あなたの地区が開発した小規模融資計画のお陰で、子供を養える様になった幸せな母親を目のあたりにした時に得られるものかも知れません。あるいはまた、あなたのクラブが先鞭をつけた職業訓練プロジェクトによって、生産的な仕事に就くことが出来た男女の誇らしげな顔を見て覚える喜びかも知れません。
 
奉仕の喜びの極致を実感する道は、それこそ様々でしょうが、何れにせよ、それは私たちの時間と能力を全面的に捧げなければなりません。ロータリーにこんな投資をしても、あなたは決して後悔する破目にはならぬ、と私は保証します。ひとたびあなたが、他の人々の生活を変え、彼等に希望をもたらして絶望の淵から救い出し、冷淡な風潮に慈愛を吹き込む、という機会を経験すれば、あなたは自分がロータリアンであることの意義を十分に感得するでしょう。
 
2002−03年、ロータリーを簡素に、と私はロータリアンを激励する
 
実際問題として、ロータリーの奉仕の理想は、その手段、方法の多様性によって、どの様にも解釈出来ます。それをこれ以上複雑にする必要はありません。ロータリーは他人に対す奉仕を通じての親睦 という機会を提供するものです。この心に訴える単純な呼びかけが、男女を動かし奮い立たせるのです。
慈愛の種を播けば、その幾つかは殆どすぐにも芽を出し始めるでしょう。そして野の花の様に、自分で種を飛ばし、大気の流れに乗って慈愛を播き広めることが出来るのです。
また残りの種は、もう少し育成に時間がかかるでしょう。ただしこの種を慈愛献身のロータリー的行動に浸しこめば、必ず人道的奉仕という大豊作の収穫が得られる、という事を私は保証します。
 
何処に慈愛の種を播くのか?どうすれば最も効果的か?
 
機会はあなたの周り、至る所にあります。
 
まず最初に、自分のクラブに慈愛の種を播く
 
良いクラブの親睦とは、会員同士が相手に対して示し合う慈愛と関心の上に成立つもの
です。あなたは同僚ロータリアンについてどれだけ良く知っていますか?もっと良く知ろうと努めてみましょう。相手の家族のこと、仕事のこと、また相手の希望や夢についてもっと学びましょう。あなたのクラブに暖かい歓待の雰囲気があれば、専門職や管理職の新人を引き入れ、今の会員達を巻き込んで、これを活性化することが出来ます。強力なクラブ奉仕というロータリーの基本原則を復活させることによって、ロータリーの原点に立ちもどりましょう。
 
自分の職場に慈愛の種を播く
 
今日のグローバル化した経済取引の市場は度外れて没人間的なものになっています。人々は協力し加勢してくれる専門的人脈との結びつきを必要としているのです。−言うまでもなくそれこそロータリーの理想に対する品質保証でもあります。もしあなたが慈愛の種を社員、顧客、競争相手に播けば、破壊的過当競争を終結させ、ロータリーが信奉する高度の道徳的水準を維持することが出来るでしょう。
 
地域社会に慈愛の種を播く
 
これは、クラブ会員の知識、技能、個人的興味を十分に活用し、野心的な奉仕のプロジェクトを開発することによって出来るでしょう。その様な意義深いプロジェクトを通じてロータリアンは、クラブ活動に慈愛という個人的スタンプを押すことが出来ます。そしてまた、それがロータリー奉仕活動の価値を充全に発揮することにもなります。私たちの播いた種が私たちの地域社会で育ち始めるにつれて、他の地域社会も私たちの尽力に与りたいと願ってくるでしょう−そしてロータリーもまた成長してゆくのです。
 
そして最後に、世界に慈愛の種を播く
 
慈愛無くしてこの苦難に満ちた世界に平和をもたらすことなど望むべくもありません。ロータリアンとして私たちは、国際親善奨学生、研究グループ交換チーム、ロータリー・ボランィアを通じて慈愛の種を播くことが出来ます。私たちはまた、飢えた人々に食を与え、病める人を治療し、ホームレスに簡易宿泊施設を与えるなどして、海を越え国境を越えて慈愛を注ぐことが出来ます。ロータリーを通じて実現される清潔な飲み水、身近な健康管理、世界の子供達に対する教育、そして全人類に対する基本的生存条件の充足ということ、その中に私たちの慈愛は自ら光り輝くのです。