慈愛の心で行動を
RID2840 2002−2003年度
         ガバナー  矢野 亨
  
2002〜2003年のR.I.のテーマは”慈愛の種を播きましょう”であります。これは大変判り易く、どちらかと言えば東洋的言葉でもあります。
 ラタクルR.I.会長は仏教国タイの出身だけにお話の前後には必ず両手を合わせて合掌をされます。これはラタクル会長の人柄を示すものでもあり、我々日本人には大変親近感を抱かせます。
 ラタクル会長は、満ち溢れる慈愛の心を込めて奉仕の種を播きましょう。それはトップダウンすなわち命令され、人からすすめられるものでもなく、むしろ草の根的な言わばボトムアップとも言えるものであって、個人個人がもう一度ロータリーの原点に立ち帰って自らを見つめ直しましょう。この慈愛の種は自らの心の中に育て、次に自らの周辺すなわち我々の家族、隣人、友人に拡げましょう。
 
ロータリークラブ運営で、もしマンネリ化があるとするならば、親睦の中に改めて慈愛の種を播くことを心掛けましょう。自らの日々の職業について、常にこの慈愛の種を播くとき素晴らしい職業奉仕となるでしょう。我々の住む地域社会に播かれた慈愛の種は地域に期待される社会奉仕となり、更に発展して地球規模に播かれるなら立派な国際奉仕となるでしょうと言っています。
 
 更にこれからのロータリーの発展を考えたとき、次の世代の育成を考えねばなりません。慈愛の種は新世代のあらゆる年齢層に播かれるべきであります。
 欧米のキリスト教国では、その精神のバックボーンとして、キリストの山上の垂訓と言われる黄金律(golden rule)があります。これは「すべての人にして貰いたいと思うことは人にもまたして上げなさい」(マタイ伝7=12)
 これこそ積極的な奉仕の理念であります。一方、我が国では論語の「おのれの欲せざることを人に施すことなかれ」があります。これは黄金律と表裏の思想ですが、奉仕への積極性が少ないと言われております。
 又、欧米人は日曜日になると家族と教会へ出かけ、そこでお祈りと幾らかの献金をして来るという習慣がありますが、日本人にはそのような習慣はあまりみられません。
 日本人と欧米人の間には日常生活の中で、奉仕に対する意識と行動パターンにおいて残念ながら温度差のあることを認めざるを得ません。
 我々はラタクル会長の「願い」をもう一度深く噛みしめましょう。
 慈愛の種を自分自身の心に、隣人に、地域社会に更に地球上に播きましょう。
 それがやがて素晴らしい大輪の花を咲かせてくれることを期待しようではありませんか。