富岡ロータリークラブ
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2018-2019年度第12回例会2018年9月26日(水)卓話 「私の想うこと」村上 明男君

2018.10.18

卓話     「私の想うこと」     村上明男君
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私は宮崎で生まれたらしいが、生まれたところを見ていないので確かではないです、一ノ宮で育ったのですが、貧乏だったのと、母親に大きい声で怒られていたこともあり劣等感の塊でした、小学校5年生の時に父親が起業し、門前の小僧で、機械や鉄に親しみ育ち、あまり友達と遊んだ記憶がないくらい家の手伝いをしていました。
その後富中に進み、750人の同級生がいたが、知らない人の中で孤独感の塊だったです。中学校では軟式テニスをしていたが、母親がグランドに呼びに来て、家の仕事を手伝わされていた、そのころから現在の仕事の下地ができていたようです。
その後高崎工業に進み、機械の勉強をしました、計算尺が得意で、水戸工業で行われた大会にも出場しました。富中から3人の方が高崎工業行っていたが1組だった自分が一番勉強ができたと思っている。 その後日産ディーゼル工業に就職し、機械が詳しいところを買われ、試作品作成の部署に異動になりそうだったが、そこに移ると退職できなくなりそうで、家から帰って来い と言われていたこともあり、家業を継ぐことになりました。
家業を継いだ後も兄が帰ってきたこともあり、いろいろ大変なこともありました。 人生が急変したのは、西毛機械青年部に入ったことでした。小林夏夫さんたちと知り合い、ほとんど外に出ない生活が一変しいろいろな人と話をし、夜も寝ないで仕事をしても青年部に行くことが楽しい時代でした。総会にスーツネクタイ姿で行くとか知らないこともありました、小林夏夫さんとは親友と思っていますが(相手はどう思っているかかわからないが)当時からお世話になっています。飲めない酒を代わりに飲んでくれて、おいしいものは私が食べました。
あと70年は生きられないでしょうが、ゴルフを楽しみに頑張ります。