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入院して思うこと

関口 隆

 病院という所は、患者が出来ないことは何でも看護婦さんが介助し、又、してくれる。
 しかし、ベルを押せばすぐ来てくれるからと云って、自分が出来ること迄頼めば断られることもあることを覚悟して、予めそういうことはしないように心掛けた方が宜い。どんな病人でもそれだけのけじめをつけることは必要である。
 但し、一見何でもないようでいて、立つこと、歩くことすら辛い人はその旨を告げておけばよい。

 よい患者になるには、自ら進んでそうなるように心掛ける人、又、看護婦さんその他の人に感謝の気持ちを素直に表現出来る人であらねばならない。
 すべての人間関係は好意と感謝の気持ちを基礎に持ち、且、決して固くるしくしろというわけではないが、礼節を守ることにより維持されることは、病室の中の生活であろうと、娑婆の生活であろうと同じである。
 以上述べたことはまだ老人ぼけもさ程進行せず、自分で自分自身の立場を十分認識し、是非善悪の判定が可能な人についてのものである。
 人間は死ぬ前の一時期は、自分でも家族でもどうすることも出来ない程心身の秩序が破壊される時があるだろう。そのことは人間が死ぬという最初にして最後の最も尊厳な事態を迎えるための儀式だから已むを得ないし、本文の意図する所とは関係ない。

「君は今年74才になり、インターンを終了し医師になってからでもすでに48年の臨床医経験を積んでいる。今更そんなことも知らなかったのか」と云はれるかもしれないが、私が@一ヶ月以上入院し、A全身麻酔で、B開腹手術を受けたことは全くの初体験である。これ迄肉体的に極めて恵まれた平安な日々を送って来られたことを神に感謝しなければならないし、この度の初体験で感じたもろもろの感想を記録して何人かの方に御覧戴くのも、それなりの意味はあろうと考えている。

 上記@、A、Bの体験により私が身を以て知り得たことは、どんなに本を読んでも、人の話を聞いても、絶対に認識することのできない謂わば、実学である。