「小さな力運動」
ガールスカウト群馬21団リーダー 
松井美代子様
右から土田さん、松井さん、大西さん
(ガールスカウトの方々)
 小さな力運動は群馬県独自の活動です。
 昭和60年6月、フィリピンの日系人の子供たちのための奨学金制度のスポンサーを探していることを知った中学生・高校生の少女達が“一人の小さな力もみんなで合わせれば世界の平和のためにきっと何かができる”という思いから小さな力運動と名づけ、この活動が始まりました。
 この運動は4つあります。
1つめは、フィリピンにいる日系人の子供たちに奨学金の援助。
2つめは、インドに石板を送っています。これは特に子供たちの識字教育に役立っています。
3つめは、ブルキナファソの貧しい(食べることにもことかく)人達の生活向上のお手伝いをしています。
そして4つめは、使用済みテレカの回収です。   
「世界では約1億個の地雷が未処理です。その地雷の被害を受けている人は1時間に3人、1日に70人、1ヶ月に2,000人と言われています。地雷で手足を失った人に義足を送ろう」という記事を見た少女たちの意見で使用済みテレカの回収が始まりました。使用済みテレカ2,700枚で一足の義足を作ることができたのです。しかし、この運動は私達が参加した時から1年で終ってしまいました。他に使用済みテレカが役立つところがあると少女達が見つけてきたのがジョイセフ(JOICFP)というNGOの団体でした。この団体はテレフォンカードだけではなく、オレンジカード、イオカード等対象となるカードがあります。
 また、使用済み切手も集めています。使用済み切手は消印のスタンプの部分を切り取らないで下さい。収集家は消印の日付と郵便局名もコレクションの対象としています。ジョイセフでは「途上国の草の根保健ボランティアに再生自転車を送ろう」に活用しています。  
 私達ガールスカウトは、5才の女の子から年令に関係なく活動しています。それぞれの年令にあった“人に役立つこと”を実践しています。そして、捨てればただのゴミになってしまうものも、使い方によっては充分に役立つことを実感しています。


変化の時代をどう生きる
桐生地域ベンチャー支援センター管理者
        丸山敏二様

 
 変化の激しい現代、企業人(経営者)として、次の3ツの硬直化に陥ることのなきよう気をつけねばならない、それすなわち、
 (1)発想の硬直化
 (2)組織の硬直化
 (3)行動の硬直化
である。
 発想の硬直化を避けるためには、常に頭はやわらかくしておかねばならない、又先入観や既成概念にとらわれないことである。
 こうした柔軟な発想から木に竹をつなぐ発想が生まれ、新商品や新企画が芽生えるのである。この場合、出来ない、それは無理だ、駄目だ、との消極的な対応はタブーである。
 次に組織の硬直化である、変化に対応するためには1人1役では戦えない。チーム(企業)全員その目的達成に向かって前進せねばならない。世の中が安定していれば野球のようにあらかじめ与えられたポジションでベストを尽くせば良いが、乱世にあってはラグビーのように全員で刻々変る状況を判断して対応せねばならない。この場合、朝令暮改は決して悪いことではない。
 そして行動の変化である。
 客は何を求めているのか、そのニーズにタイムリーに対応するには態度で示すことである、つまり機敏な身のこなしである。企業の社会的責任(倫理観)が厳しく問われる現在だけに、心すべきことと言える。
 さて、乱世のこの時代をいかにして勝ち残るのか、来るべき21世紀はソフトの時代とも言われている。
 ITを軸に想像を絶するスピードで変化が進むのは必至である。
 そこで、
 (1)現実から逃げないこと
    エバ オンワード! 前へのチャレンジャー精神である
 (2)得意技を持つ
    ユア コンピュタンス・独自性の発揮である
 (3)Not No.1, But only one!
(1)(2)を活かして、その地域に於いてなくてはならない存在たれ!ということである。カミソリではかぼちゃは切れない、クラブの皆さんはどうぞインテリジェントバーバリアン(知的野人)としてのたくましさを決して失わないで下さい。
 ご静聴ありがとうございました。貴クラブの更なるご発展を心よりご祈念申し上げます。

私学教育の
現状について
樹徳高等学校校長
 
 星野幸一様

この度、樹徳高等学校では、平成13年4月1日付けをもって、併設型・樹徳中学校を開設致します。
 中高一貫教育の始まりであります。少子化、不況、社会風紀・綱紀の紊乱、犯罪の多発等々、混乱極まった世相の中、私立の中学校の新設に良い条件は見当たりません。
 しかし、小学校では学級の崩壊、中学校では暴力、高等学校では17歳少年による殺人事件の多発、教師が生徒に注意すれば殺されかねないような時代の中で、安心をして学業に励むことの出来ないでいる青少年を見ると、手をこまねいてはいられません。
 火中に栗を拾う、
 路 行かざれば到らず 事 為さざれば成らず、
 一農 耕さざれば 民に飢うるものあり、
 一婦 織らざれば 天下その寒を受く
の覚悟で、非力を承知の上で新設を決定いたしました。
 この時に当たり、去る7月26日、総理大臣の私的諮問機関として、21世紀の教育のあり方を検討している「教育改革国民会議」では、その第二分科会で、学校教育全体の活性化のため、私立小・中学校の設置促進に向けた方針を打ち出しましたが、これは、公立だけに依存しようとしていた教育の行きづまりを認め、永年、心血を注いで培ってきた私学の全人教育(宗教的情操教育を基礎にした教育)の成果に絶大な期待を示したものと言えましょう。
 更に、中高一貫教育は、私学の培ったノウハウによって成功したものでもあり、これを文部省が教育改革の核に据えたことは、私学教育こそ、日本の教育再生をはかる最善と判断したからに他ならないと考えます。
 中高一貫校には、三つの型があります。
 一つは中等教育学校。二つは併設型の中学校・高等学校。三つは連携型の中学校・高等学校(詳細は別紙)であります。樹徳中学校は併設型であります。
 平成10年5月1日現在、私立学校では全国で既に617校の中学校があります。公立高等学校は3,779校、私立高等学校は1,331校であります。文部省の発表によりますと、1年間に公立高校の生徒1人当たりに支出される教育費は106万円を超えました。これに引きかえ、私立高校への公費は27万円にすぎません。公立は教員1人に生徒12人。私学は教員1人に生徒22人であり、公立の教育費総額は15兆円、私学には国の予算は900億円を下回る現況であります。
 このような状況の中で、私学が行ってきた教育が、公立の教育に勝る実績をあげ得ているのは、宗教的情操環境をもって全人教育に専念しているからであると思います

通勤雑感
桐生公共職業安定所
所長
薗田正夫様

 私達が話をさせていただく時は職業柄、雇用失業状勢だとか雇用対策についてとか比較的堅い話が多いわけです。それでよいのかなと思っていましたら、小島さんから何の話でもよいですと言われ、雇用失業関係以外の話と早合点してしまいました。
 実はこの間、帰りの電車を待っておりました。その日は電車が10分程遅れました。駅の構内放送では遅れる旨の話がありました。しかしどういう理由で遅れるのか、あるいは一言くらいお詫びの放送があってもよいのではないかという気がしました。ましてやJRはサービス業ですから、サービス精神にちょっと欠けているなという気がしましたわけです。そんなことがヒントになり考えついたのが通勤雑感です。両毛線を利用して感じた事をお話しいたします。
 私はこの半年間、新前橋桐生間を通勤しておりますが、私の愚痴だと思って聞いて下さい。いちばん先に感じたのが電車の停車位置です。私のように年を取ってくると電車に乗ったら坐りという欲望が強く働いてきます。そのために自宅を早めに出て電車の止まる位置で場所取りをします。我先に乗り込もうと思うのに何故か運転手さんが私の気持ちを汲んでくれないで、いつも停車位置が違って来てしまう。折角場所取りをしたのにも拘わらず、私の意に反してドアは私の前を通り過ぎて他の人の前に行ってしまう。トンビに油揚げをさらわれてしまったような気がします。こんな時には心の中だけなのですが、運転手さん、ちゃんと停車位置くらいきちんとやれよという気持ちがたつわけです。
 二つ目は電車の停車徐行に合わせて歩いて来る高校生がおります。電車が停車間際になるとドアの所と一緒に歩いて来て、私達が立っている目の前に来てドアが開けばさっと乗ってしまう。私達は早くから来て立って居るのだから後へ着けよと注意したいんですが、私より若干体格はいいし、なんとなく言いづらい。そんな時には怒る事も出来ない歯痒さ腹立たしさ、そして怒りを感じます。一つ見方を変えれば、その高校生は要領のいい知能犯かも知れません。
 三つ目は席を占領している女子高生に頭に来ることがあります。私も乗り込むと少ない空席を見つけるために短い首を伸ばします。たまたまボックス席が空いていた。やれやれ助かったとそこへ行くとドンと荷物が積んであって3人の女子高生が坐っていて3人分荷物が置いてある。何故積んであるのか。後から来る女子高生のために席を取ってあるのです。私も何度か「坐りたいんだけれど」と言うと「友達が来ます」と知らん顔をしています。そんな時には頭に来ます。そう言われると友達思いなんだなという見方もあるんですが、私にすればむらむらと憎しみが湧いて来るところです。こういった事も私が寛大な心を持ち合わせていない、短気なんだなあと思い、これから大らかな気持ちを持って電車に乗らなければならないのかなという気がしているところです。
 四つ目が高校生の服装の乱れを感じました。男子の高校生の服装が非常にだらしないですね。流行の先端を行っているつもりなのかも知れませんが、シャツはベルトの所からはみ出しています。それからネクタイを結んではいますけれども、だらんと首から提げているだけです。きちんと襟元で締めてきちんとネクタイの役割をさせておりません。もう一つ気になるのがズボンです。日本人はもともと短足ですが、その短足を更に強調するようにベルトがゆるゆるで普通ならウエストの所で締めますが腰の下の所でやっています。それだけズボンを下げているわけですからズボンの裾は、だらだら引き摺って歩くからボロボロです。そういった姿を見ていると、一度女子高生が多勢いる前でズボンの裾をすっと踏んでやりたいなと思います。どんな結果が出るかわかりませんが、そんないたずら心をじっと堪えているところです。もう一つは女子高生ですね。勉強を一生懸命やっているんでしょうか。化粧に余念がないんですね。眉はすっかり剃り、そこの所を描いてアイシャドウをし口紅を塗って、いつも鏡とにらめっこをしている生徒が非常に多いんです。それは最近馴れました。それから靴の踵をべたっと踏んでしまってサンダルを履くようにずりずり歩いている女子高生を非常に目にするようになりました。それよりもっと驚かされたことがあります。それは駅のホームにべたっりと坐り、あぐらをかき車座になっておしゃべりしているんです。私は桐生に来る前は3年間渋川所へ上越線を利用して通勤しました。実はこんな行儀の悪い光景は一度も見たことがありませんでした。ですから余計びっくりしました。私達が高校生時代には女子高生というのは光り輝き清楚で清純な面影があったのですけれども、ここに来て非常にイメイージダウンしているなという気がして残念に思っております。実はこの子達を育てた親、そして教育している教育者の顔が見てみたいなあという気がしてしまっているところです。
 再びJRのことですが、どうにかしてもらいたいことがあります。各駅停車に乗って来るわけですが、伊勢崎からこちらに近づくにつれて高校生が多勢乗ってくるようになります。何故かドア付近に男子高校生が居り、女子高生が乗ろうとしても取り囲んでいるのです。ですから女子高生はなかなか乗って来られないのです。この時に車掌さんは早く乗れよという風にドアをいらだたしげに何回も何回も開け閉めするんです。実は今朝数えたら8回開閉をやりました。ようやく生徒さんが乗り切って発車できたのですが、もっと駅員なり車掌さんが車内放送で真ん中の通路が空いているのですから詰めて下さいくらい一言があってもよいのではないか。お客さんがスムースに乗れるように配慮してくれた方がよいのではないかという気がしています。
 こんな些細事をいくつか考えついたので皆様にお話ししましたが、もしかするとそんな些細な事で頭に来るなよと思われるかも知れません。ストレスが溜まって仕様がないと思われるかも知れません。高校生の服装の乱れとかその他の事では、時代の流れに乗れないという自分が時代遅れなのかなという気がしているところです。この半年、両毛線を利用させていただいて感じたままお話しさせていただきました。
 私達職業安定所もサービス行政です。他人を批判するよりも人の振り見て我が身を正せという言葉がありますが、我が身を正して反省を常に忘れずに職安のモットーであります迅速、公正、懇切を心にハローワークの愛称をけがさない様努力して行きたいと思います。

〈会員卓話〉
2000年度
ノーベル化学賞受賞
白川英樹先生の話
片貝良一会員

 桐生西RCに入会してから早2年半が経とうとしている。入会直後から勝手なことを言わせていただいた。やれ、例会での点鐘は変だとか、やれ、歌を唱うのは可笑しいとか、我がクラブがホストしたIMで声高に意見発表をした。リーダーだった山同さんは、さぞや面目をなくされたのではないかと、今になっては赤面の至りである。ということは、今や、私はRC会員にどっぷり浸かってしまっているのであろう。この2年半の間、例会でも、その他の行事に参加しても、未だに嫌な経験をした記憶が全くない。会費が高いと文句を言い、1年で退会すると繰り返しながら、未だ喜々として例会に出ている自分を見て、西RCは親睦を中心にしながら奉仕を行う類い稀な本物のクラブではないかと思う。

 さて、本日は白川英樹先生の2000年度ノーベル化学賞の受賞にまつわる話をしたいと思う。実は、発表があった日の前日の夜に上毛新聞から電話が入り「白川先生がノーベル賞を受賞した。どんな先生か」と言うインタビューを受けた。恥ずかしながら、私は先生を存じ上げなかった。多分、多くの化学者が先生を知らなかったことと思う。これには訳があって、先生は、所謂日本の学界での超著名人ではなかったからである。化学の分野では、今年こそノーベル賞をもらえそうだとうわさされている先生が何人かいるが、白川先生はその中に入っていない。言ってみれば今回の受賞に関してはダークホースだったわけである。先生の国内、国外の受賞はわずかに高分子学会賞のみであった。日本の学会で受賞するには、よい研究結果を出すだけではだめで、学会の役職をこなし、所謂ボスになるか、ボスからの推薦を得なけらばならない。先生は本当の学者で学会のボスではなかった。その経歴も東大、京大でもなく勤めた大学も筑波大で、毛並みが非常に良いとは言えない。日本は科学技術立国を目指して、何兆円もの資金を注ぎ込んでいるが、白川先生は研究費がそんなに潤沢にあったわけではない。今回の白川先生のノーベル賞受賞は、日本が政界ばかりでなく学界もボスの権威主義が支配する社会であることをチラッと垣間見せた感がある。日本のあらゆる体制は、日本の良い伝統を継承しつつ、抜本的な改革を行って、合理的で公正な評価がなされる社会に脱皮しなければならないことを実感した。


私の故郷大連と日本
米山奨学生
袁培紅さん

 かつての日本の植民地の中で、おそらく最も美しい都会は、私の生まれ育ったところ、中国の大連市である。1898年、ロシアが清国から大連を租借したことを契機に、開発が開始され、ダーリニーと命名された。1904年2月、日露戦争が勃発し、日本はこれを無血占領し、翌年2月に大連と改称した。その時、日本は、ロシアがすでに描いていたたいへんモダンな都市計画をほぼ受けつぎ、さらに、それらを越えて、独自の展開を試みた。これが40年ほど続き、満鉄(南満洲鉄道株式会社)が、その中心として経営を行った。

 したがって、大連の町の歴史上の特徴ある幾つかの建物は、日本と深いつながりを持っている。中山広場 「昔の大広場「 に面している建物は、全部で10棟である。その中には昔の日本横浜正金銀行大連支店、今の中国銀行大連分行や、昔の大連ヤマトホテル、現在の大連賓館など、昔と変わらずに残っている。

 そして、東京の上野駅をモデルにして作られた大連駅、昔の満鉄の高級社員の社宅、満鉄本社、満洲資料館、満洲中央試験所、幾つかの公園、病院など、そのまま保存され、現在も使われている。

 日本は、また、大連に産業上の建設的な貢献を果たしている。例えば、大連機関車車輌工場の前身は、満鉄が建設した大連鉄道工場である。大連ガラス工場も、昔、満鉄とその傍系の南満洲硝子株式会社が手がけたものである。

 このように、大連の歴史を語るときには、日本に言及しないと成り立たないような親密さを持っていると思う。現在も、大連に進出している外資系会社の数は、日本資本のものが最も多い。私は、そのような状況が続くことに自分なりに努力し、いつまでもこの関係が続くことを心から願っている。

〈会員卓話〉
ロータリー財団月間
に因んで
ロータリー財団委員長
正田恵一会員

 ロータリー財団の使命は、国際規模の人道的、教育的、文化交流プログラムを通じて世界理解と平和を達成しようとする国際ロータリーの努力を支援することです。ロータリー財団委員会は、ロータリー財団プログラムを支援するクラブレベルの活動を行っている。

●財団プログラム
1.国際親善奨学金
 ロータリー財団の最も古く、最もよく知られたプログラム。(1947年より)一学年度奨学金、マルチ・イヤー奨学金(2年または3年)、文化研修奨学金(3ヶ月または6ヶ月)の3種類がある。現在約60の異なった国々の1,300人を超える奨学生を支援している。

2.研究グループ支援(GSE)
 地区内の専門職務経験の浅い若い男女4名を選びロータリアン1名が引率して4〜6週間の海外視察を行い、文化と職業の交流の機会を提供するのが目的。クラブ会員はホームステイを提供し、職業見学ツアー及び活動を組織し、来訪チームの観光行事を支援する。

3.大学教員の為のロータリー補助金
 低所得国での高等教育を強化しながら国際理解と発展を推進するのが目的。

4.ヘルピング・グラント
 ロータリークラブが無い地域、或いは地元クラブの参加が僅かな国の人道的な国際プロジェクトに対するもの。クラブと地区の寄付額の半分を授与する。(上限$15,000)

5.同額補助金
 二ヶ国以上のクラブ、地区が行う人道的プログラムに対して、費用の半分を補助する。(最高$50,000)

6.保険、飢餓追放及び人間性尊重(3−H)補助金
 クラブや地区のレベルでは扱い切れないような国際的規模のプロジェクトを対象として、自立と長期に渡るプラス面に重点を置く。
($100,000〜$500,000を2〜3年の間に授与)

●財団寄付
1.年次寄付(一般寄付)
 1991〜92年度から「シェア・システム」が導入され、寄付された年度から3年後に総額の60%を地区財団活動資金として地区に還元され、地区がプログラムを選択し、残り40%が国際財団活動資金として財団本部のプログラムに使われる。

 年次寄付に対する表彰制度
 100ドル以上財団準フェロー、1,000ドル以上ポール・ハリス・フェロー、2,000ドル以上マルチプル・ポール・ハリス・フェローそして10,000ドル以上大口寄付

2.恒久基金(基金寄付)
 ロータリー財団の基金に寄付され、元金には手を付けず利子配当だけをプログラム資金に当てる。寄付額はシェア・システムの対象とならないが、利子配当分はシェア・システムの対象として加算し、地区に還元出来る。
 恒久基金に対する表彰制度は1,000ドル以上ベネファクター

3.冠名基金
 自分の名前を冠けた基金

●当クラブの現況
 ポール・ハリス・フェロー69名、内物故者5名、退会者9名、移籍者5名
 マルチプル・フェロー8名、内2回取得2名、ベネファクター2名、内退会者1名、移籍者1名

 ロータリー財団への御理解をお願いします。

アシスタントガバナー
地区2名制について
清 章司ガバナーエレクト

 根本会長よりお話を頂きました、地区内アシスタントガバナー2名制について話をしてほしいとの事で本日訪問いたしました。

 地区リーダーシップ・プラン2560地区(2840地区)は、富山・高木・関口年度と取り入れてきました。これは大まかに言いますと、ガバナーが現在やっている仕事を軽減しようとの趣旨です。そしてガバナーは本来の仕事の内容をもっときめ細かく行いたい、そしてAGさんには、もっと地区とクラグとの間のコミュニケーションを密にする活動をお願いする、例えばクラブで何か問題があったとか、計画を練るとか、そういう物についてAGさんが各担当のクラブを廻ってそういう計画を作り、あるいは相談に応じ、そしてクラブ活動を活発にしよう。と、そういう事が単純な発想なのです。

 しかし分区代理時代の考えが残っており、権限をもっているけれども、なかなかAGさんがそこまでやっていらっしゃらない現実があり、来年からはこのへんを教科書通りに少しやってゆこうと思っています。

 AGさんを2人にするという事は、1人が担当するクラブの数が4〜8クラブが理想だという事は、AGさんがもっと緻密に担当クラブ内とコミュニケーションをもっていろんな奉仕活動の準備なり、計画なり、これを各クラブの会長さんはじめ皆様方と話合いしなさいという事なのです。

 又、これにつきましては10月2日に現AGさんと我々現関口年度の会長さん、幹事さんと関口ガバナーもお見えになって来年度に渡っての打ち合わせをしました。そして確かに非常に重荷であるという事と同時に来年はもっと仕事が増えるという事を申し上げましたら、それは大変だと、じゃあ多い分区については2名にしましょうと、現役の方々の賛同をいただきました。

 そんな事でこちらの分区は10クラブですので2名をお願いしたという事です。ただ分区代理時代のような、ガバナーの後をついてクラブを訪問して、事前訪問もして報告書をチョッと作って、という程度ですと1名で充分ですけれど、要はガバナーの業務を大幅にアシスタントガバナーさんに委譲するという事で2名制度をとったので、したがって来年はいろんな仕事が又変わってくると思いますが、ロータリーそのものが時代と共に変化いたしますし、常に物事を変える勇気を持たなければいけないと、そういう事がロータリーでも推奨されておりますので、その方向に沿って行きたいと思っております。

 又、ちょうど当地区もAG制度を取り入れて現在で3年目です。来年は本格的なAGさんの機能を生かさなければいけない、こういう時代になってきております。それで今、AGさんがクラブ訪問するのは最低、年間4回行きなさいと、そして従来はガバナーが訪問してクラブ協議会をやっていた事をAGさんが4回以上やって下さいという事なのです。

 じゃあ、ガバナーは何をするかというと、例えばクラブで素晴らしいイベントがあるとか、あるいは問題が多くてどうしようもないとか、それから色々な寄付をした時に普通におめでとう、では無くてもっと感動を与えるような表彰式にするとか、新しい会員を迎える時に入会式も盛大にやって、しかも継続出来るような、退会防止につながるような、そういった感動的な場面を創ったりとか、ごく一部ですがそういう事がガバナー活動として推奨されており、この様なキメの細かい活動をするためにAGの2名制度を取り入れました。又、問題としては、AGにはエレクト制度が無く任命されてすぐに活動という事になる、この点は今後の問題だという事でしょう。

 ガバナーが変わると、とんでもない方向に変わる、という事を私達も感じた事がありますが、今回はとんでもないではなく、本来あるべき姿を継続して、そして進めて行こうと考えておりますので、宜しくご理解ご協力をお願い申し上げます。

教育長の職務について
桐生市教育長
中鳩 三代支様

1.教育長就任挨拶(臨時教育委員会)
10月2日(月)
●教育長の職務(法17・19・20条)
 @教育委員会の指揮監督の下に、教育委
  員会の権限に属するすべての事務をつ
  かさどる。(法17)
 A教育委員会のすべての会議に出席し、
  議事について助言する。(法17)
 B事務局職員、学枚教職員の人事及び教
  育機関の職員の任免その他の進退は教
  育長の推薦によることになっている。
             (法19)
 C教育委員会事務局の事務を統括し、所
  属職員を指揮監督する(法20)
2.教育委員会事務局職員に対する挨拶
●「なんじの俸、なんじの禄は
    民の膏、民の脂なり
  下民は虐げ易く、上天は欺き難し」
          (二本松城趾戒石銘)
●服務の根本基準について
 @すべての公務員は全体の奉仕者であっ
  て一部の奉仕者でない。(憲法15)
 A法律の定める学校の教員は、全体の奉
  仕者であって、自己の使命を自覚し、
  その職責の遂行に努めなければならな
  い。そのためには、教員の身分は尊重
  されなければならない。(教基法6A)
 Bすべての公務員は、全体の奉仕者とし
  て公共の利益のために勤務し、かつ、
  職務の遂行にあたっては、全力を挙げ
  て、これに専念しなければならない。
              (地公法30)
3.市役所全職員を対象にした挨拶
 ●「ある名君が、かつて栄えた国をたずね
  て土地の老旧臣と対話・・・
  「この国の滅亡の理由」を聞く、
  すると意外な答えが返ってくる。
  わが主君は「善と喜び悪を憎む」方でし
  た。それで衰亡したのです。その通りな
  ら、まさに賢君ではないか、それが、な
  ぜ」。
  老臣は語る、わが主君は、
  「善を喜びながら、それを用いようとし
  なかった。」
  [悪を憎みながら、それを退けようとL
  なかった。」
  これが、滅びた理由です。と、‥
           (中国の書「管子」)
 ●教育改革の方向
  「キャッチアップ型」から
      「フロントランナー型」へ

「ロータリー理解推進月間」について
桐生赤城RC
  金井栄則君

 毎年1月が「ロータリー理解推進月間」であります。ロータリーの友の1月号にも、この月間の記事が掲載されておりました。年間8つ程ある月間の一つであります。
 当クラブはロータリーに良く精通されている方々が多勢おります。その前でお話しするのは大変勇気がいりますが、聞いて戴きたいと思います。
 俗に入会されて3年以内の会員の移動が非常に多いといわれております。折角ロータリーに縁があり、入会されて良く理解されずに結論を出して退会届を提出する方が多いですが、ロータリーを良く理解されてから方向を決めて頂きたいと私は思います。
 ロータリアンにとって一番重要な問題は、ロータリーとは何かという事です。
 これさえ分かれば後の事はあまり苦しまなくても解決出来る事が多い。

 ロータリーとは、
 その答えは、一言でいうとロータリーの綱領であります。綱領はロータリーの生まれた1905年から絶えず探究され、全世界のロータリアンによって討論され、幾つかの変遷を経て現在の形に伝わっているのが、ロータリーの憲法であるロータリーの綱領です。
 ロータリーに関するあらゆる問題解決の為の綱領であります。
 第1は親睦を意味しております。
 第2は一つは自己の職業を天職と心得る。
二つは職業に貴賤なし。三つは互いに誇りをもって職業の根底にある倫理規準を育てよう。
 第3は以上の事を例会を通じて追求して行くと、自ら心の境地が高まり、それを社会生活の場において行動する、これが奉仕の実践である。
 第4は地球上に発生した一箇の不幸を我々一人ひとりのの責任において捉えましょう。
 以上がロータリーの綱領の要点であります。

 ポール・ハリスの目的
 ロータリーとロータリークラブを知るには歴史をふり返って見て頂きたい。
 1905年2月23日にシカゴの青年弁護士ポール・ハリスが創られたクラブであります。
 創立にあたりポール・ハリスの目的は二つありました。一つは企業経営者の孤独感、それは企業を経営する中で勝ち抜かなければならない、商売大事という事で、下げなくてもよい頭を下げなければならない、又同業者同士では、何時も疑心暗鬼の状態でいる。何時も心の安らぎがない、この様な状態から逃避したいと常に思っていた、それを慰めてくれるクラブが必要であると考え、一職種から一名の会員しかいないクラブを考えられた。
 この運動から今でもロータリーの柱になっている一業種一名の原則が誕生した。
 今一つの目的は、当時の社会情勢では職業を大きく分けると二種類の職業になる。その二つの職業間に相入れない溝があり、その溝を埋めることが出来なかった。
 一つは商人を中心とする企業経営者(ビジネス・マン)もう一つは医者・弁護士・学者等の専門職業人(プロフェッショナル・マン)この両者は職業の本質が異なるものと考えられ、相互の協力は考えられなかった。
 前者は直接金銭獲得を目的とするのに対して、後者は自分の信ずるアイデアや考え方を投下して、直接金銭を獲得することを避け、助言や施療を行う、その為に社会の方々から尊敬を得ている職業人。
 ポール・ハリスはこの両者、商人と専門職業人との違いは手段や方策の相違にしかすぎないと考え、職業間の相異の否定に気づかれた互いが会って話し合い、親しくなれば溝が埋まると考え、一番初めに行った事は例会出席の励行と会員同士の扶助、これらがロータリーの柱であります。
 例会出席の励行は、ロータリアンの基本的な義務は口先だけでなく、実行にあるとする考え方の現れである。
 ロータリーは職業人のクラブですので、日常の物資の供給その他の取引を会員に義務づけ、例会と例会の間に行われた会員相互の取引を次の例会で報告した。
 この様な慣例からさらに進んで会員相互の精神的相談、さらには経営上の相談から全ての相互扶助が行われる。その内クラブ内部や一般社会から、それはロータリアン内部のエゴイズムであると批判され、そこでロータリアンは相互扶助で生まれた親睦の精神を以て社会一般の改善に役立てるべきだと考え、奉仕という概念が誕生した。

 心の潤い
 ロータリーは会員が例会に職業人としての心を持ち寄り、互いに切磋琢磨することにより、高い境地を得て、その心が職場や社会に影響を及ぼし地域社会一般を潤す、これがロータリー的意味で奉仕と呼び、やがて職業奉仕となった。
 企業が永続的に繁栄するには、1個の取引が他の取引の誘因になることが望ましい。
 一つの商品を売る時は商品プラス満足を売る、代金を受け取るときには、代金プラス感謝を受け取る。取引に伴う両当事者の心の交流をロータリーでは奉仕と呼んでいる。
 ロータリーを理解しようとする場合、一番難しい作業はロータリークラブという団体的作業と奉仕の実践という個人的作業の二つを循環的に要求している点です。
 奉仕はクラブ会員が例会と呼ばれる毎週の定例会合に出席することから始まる。そこで同僚ロータリアンとの間に親睦という心の交わりをすることが要求される。
 ロータリーの奉仕は精神的な潤いから出発しているので成果が表われるのに時間がかかり、目に見えない点である。
 ロータリーを良く理解して、仲間・友をクラブに迎え入れて下さい。親しい友を推薦してあげて下さい。
〈新会員卓話〉

自社の紹介

天沼一夫 会員

 皆さん、こんにちは。
 私は、昨年7月に入会させていただきました、新里村の天沼一夫です。どうぞ宜しくお願い致します。

 同じ新里村の江原会員の推薦により、桐生西RCに入会でき、大変光栄に思っております。早いもので入会して6ヶ月が過ぎた訳ですが、まだわからない事が沢山あり、今だに顔と名前が覚えきれない状態で、皆様に迷惑をかけております。一日も早く、覚え、馴れて桐生西RCの一員になれる様努力をし、頑張ります。
 本日は、新会員卓話という事で時間を戴き大変ありがとうございます。
 折角ですから、私の人生の歩み、経過などを話してみたいと思います。
 現在は、一般貨物運送事業として、商号は群馬天沼運輸株式会社として新里村に本社をおき、社員36名、保有車輌32輌の小規模の会社です。

 私は51歳、この仕事を初めて手掛けたのが昭和46年、会社設立が昭和58年、営業免許の取得が昭和61年12月19日でした。初めて手掛けて現在迄30年、この間、色々な事があり、中でも特に大変な事は、やはり社員、社員教育と管理に尽きますが、幸い大手荷主の要望でもあり、社員研修として、ドライバー教育を年間の行事として年に1〜2回行う、協力会社の社員を推薦し、時には専門の講師の下で、一日の教育ですが、私共は願ってもない機会でした。お陰様で社員は、ドライバーとしての認識と自覚を植え込んで戴き、社員も定着し、荷主からも強い信頼をいただき、客先からも喜ばれ、大変助かりました。今でも年1回ですが行っており、毎年教育を欠かさないよう参加をしています。今の物流業界も不況の最悪の時期になっておりますが、品質の良い社員を抱え、荷主、客先のニーズに対応し、輸送量の拡大を計り、今後も社員の管理、労務管理、危機管理、色々な所の管理を十分行い、この不況を乗り越えられるように努力したいと思っております。

 最後になりますが、今後皆様に教えて頂く事が大変多いかと思います。これからも御指導御鞭撻を宜しくお願い致します。話がまとまりませんが、新会員卓話とさせて頂きます。

〈会員卓話〉

インターネットと
ホームページ


雑誌広報委員会
羽鳥 隆 会員

 せっかくホームページを作ったのに見たこともないメンバーが大勢いるから例会でお見せしろということで、単にデモすればよいのかと思っておりましたが、「卓話ダ」ということで原稿まで書くハメになりました。これもロータリーの友情なんですよね。でもどうせ書くなら麻雀必勝法について書きたかったのですが、これは堀口幹事が本を出すそうなので、お譲りします。

 夏はゴルフ、冬はコンピュータ、昼は仕事、夜は麻雀と、まあなかでもPCは大好きな人間ではありますが、いままでホームページは見るもので、書こうなんて思ってもみませんでした。ところが昨年11月、五十嵐雑誌広報委員長から依頼があり、冬モードに入っていたこともあってクラブのホームページならやってみようと思い、お引き受けしました。

 幸いロータリーのホームページは全国にたくさんあって参考になるし、ページ作成用のソフトは充実しており、また参考書もわかりやすくホームページは比較的簡単に作れそうに思いましたが、問題はページのデザインと更新です。メインページはなるべくテキストベースで一画面に収まるようにし、リンクしたページは写真、動画等を取り入れて楽しく見られればと考えています。会報については大間々印刷のご協力を得て毎週更新しておりますし、その他の記事についても随時更新していきます。またホームページ作りが仕事にならないよう、なるべく時間をかけずにページを更新できるようにして、次期担当委員にお渡しできればと考えています。

 ホームページ閲覧のしかたは、例会でお話したようにきわめて簡単です。またどんなPCを購入したらよいかよく聞かれるのですが、NECにしましょう。会員に関係者がいますので。これはともかくとしてインターネット程度なら最低、最安値のPCで大丈夫です。高価なものがよいと思われるでしょうが用途によっては十分なのです。インターネットをしてみたいという人がけっこういると聞いていますので具体的に書いておきますが、実は私も最近インターネット、メール、FAX、ワープロ等々用に4年前の中古ノートPC(NEC)を買ってきました。当時としては最高機ですが、いまでは最安値PC以下の性能です。しかしながら、これでなんでもこなしています。価格はなんと36,500円、4年前はおそらく30数万はしたハズです。あとはプロバイダに加入するだけ。NTTに電話しましょう、ちょっと高いけどアフターが安心です。全部で5万円程度の出費でしょう。また通信料もこれからは一日中使っても月5,000円程度です。

 最後に、これから高齢者社会をむかえます。高齢者ほどインターネットは必需のように思います。居ながらにして将棋、囲碁など見知らぬ人と対局できます。旅行に出かける時など外国も含めて見知らぬ土地の情報を掲示板で聞いてみてください、大勢のひとが教えてくれます。病気したって各種、友の会は力強く励ましてくれますよ。また教えることに喜びを感じるかもしれません。私も今回ホームページを書くにあたって、ずいぶんとネット上で学びました。わずかな金額で十分楽しめる時代がきています。

〈会員卓話〉
中島飛行機(株)で働いて
いた頃の今昔物語り

糸井京三郎 会員

 私は昭和18年4月より20年5月末日まで、中島飛行機株式会社に勤めました。

 初めは検査工で、その後は試作工作課翼組立工として働きました。最初は41工場でしたが、その後は53工場で飛行機の増産のために懸命に働きました。

 昭和19年9月19日付で、中島飛行機(株)太田製作所所長、大和田繁次郎より表彰状を頂きました。その表彰状の文面を紹介します。

 「右ノ者ハ昭和19年6月ヨリ9月ニ至ル3ヶ月間挺身精勵克ク皆勤シ、増産突撃ノ責務ヲ完遂シタルハ決戦下、皇国産業人タル指命ヲ自覚セルモノニシテ、航空機の緊急増産ニ貢献スル所甚大ナリ、仍テ茲ニ之ヲ表彰ス」とあり、生まれて初めて表彰状を頂きました。給料は一番少ないときが1ヶ月69円、多いときは200円で、手取り133円が最高でした。

 現在の金の価値で133円は、133万円位になります。給料袋には「貯める心も、戦ふ心」と印刷してありました。


〈卓 話〉

「聴く」と「話す」
の関係

ヒロ・トーク
川口裕子 様

 「きく」と「話す」は表裏一体ですが、人が言葉に最初に出会うのは「きく」ことからです。人は胎児の頃から、両親の会話等を聞いて育っていくのです。皆様はリーダーとして常に率先垂範で行動しているので、特に頭の隅に止めて欲しいことは、とかくリーダーや自信のある方は「話す」ことに重点を置き勝ちになり、人の話はよく聞かない傾向が有る様です。きくことは相手のペースに合わせなくてはならない、自分ペースには進まないので少々やっかいなものなのでしょうか。
 さて、交流分析=TA(やさしい心理分析)のジャンルのひとつに「ストローク」が有ります。ストロークとは一言で言えば、「心の食べもの」人間は生きる為に三度の食事を食べます。体に食べ物が必要であると同じ位に「心」にも栄養(ストローク)が不可欠なものなのです。

ペア実習
 @ 無視……全く相手の話を聞かない。
 A 傾聴……うなずき、良く聞く。
@は嫌な気分で淋しかった。   (感想)
Aは楽しい気分で心が満たされた。(感想)

 この実習は日頃から良いコミュニケーションのとれている同志でも、あえて@Aを改めて感じ取って欲しいのです。人は誰でも、自分を認めてほしいという「承認欲求」を強く持っています。悪口を言われるより辛いのは「存在」そのものを石ころかゴミの様に扱われて無視されることです。「聴く」という行為は想像以上に相手の心に充足感と喜びをプレゼントします。私の話を聴いてくれた、認めてくれているのだと承認要求が満たされるのです。「聴」の内容は、「耳+目+心」A耳できく、B目できく、C心できく。A耳は2ツでキャッチ、Bマレービアンの法則(非言語コミュニケーション)表情・態度=55% 言い方(声の調子)=38%、言葉=7%、C私はあなたを受け入れますよ、ABCの様な聴き方をしましょう。身近な人、大切な人に「ストローク飢餓」の淋しさを味あわせない様に。与えすぎると……の懸念はいりません。人はストロークが足りない時こそ問題行動を起こすのですから。「話し上手は聞き上手」等と言われていますが、私は「聴き上手こそ、話し上手」と言いたい。話し下手と思っている方、心配無用ですよ。「聴」ける人は必然的に話も上手くなるのですから。

 何故?って、聴くことによって相手の考えや気持ちなどが理解できますから、自ずと何を話すべきかが分かってきます。相手の心に届く話が出来てくる訳です。何はともあれ、人の話をよく聴ける人は好かれます。喜ばれます。

 本日は温かい配慮と熱心な参加意識で、楽しく共に学ばせて頂きました。素晴らしい西ロータリークラブの皆様に感謝申し上げます。    
 ありがとうございました。
〈新会員卓話〉

私の現職迄の
道のり

櫻井和彦会員

 私は、根本会長の本社より200m西側で、新里村の一番東にある土地で、不動産、商業開発の事務所を営んでおります。

 生まれは大間々町、ながめの近所で、小学校3年まで住んでおりました。

 親の転勤で、埼玉県の自衛隊朝霞の駐屯地内、防衛大学で有名な朝霞市へ移転し小・中学校、高校、大学時代を過ごしました。大学は中退です。その理由はバイトをして、お金を稼ぐことが楽しくなったからです。

 その後、生涯の仕事を考え、何社かの中から住友生命保険相互会社に入社致し、配属を群馬支社に希望した。前橋市の県庁通りの支社ビル勤務が、昭和53年4月でした。当時私は21才です。支社営業経験後、県内市街地で営業所のない地区は安中市でした。私は安中営業所の開拓担当として転勤し、市場開拓へ走り廻り3ヶ月経過した頃、あまりにも住友生命のネームバリューが薄い事を感じ、支社長に現況報告をしたところ、支社長からかえってきた言葉が、安中は3回も出店したけれど失敗している地区なんだ、だからお前が開拓特攻隊なんだ、と言葉をいただき、無我夢中で開拓と人員採用に日々明け暮れた。

 1年後社員は20人になり、全国最年少、24才で営業所長になった。社員は徐々に増え続け、2年後には安中、松井田、吉井、下仁田迄営業所を増設し、社員68名まで伸ばした。初任給12万円がその時は50万円迄になり、業績は安中地区で業界第2位の実績をつくった。

 転勤にて太田勤務、29才の時、伊勢崎営業所へ辞令を受けた。支社長に今の女房と同棲していたことが、うすうす耳に入ったので、7月10日付転勤日に合わせて、支社長の仲人で7月13日、夏の結婚式をあげました。

 益々業績を伸ばし、31才のとき年収1,200万円の給料取りになり、大変幸せでした。

 それからは、将来を見直したとき、年配の営業所達を見たとき、大学中退の自分には支社長以上は出世できないと思い、32才になり子供ができた時、会社を退職し、適職に考えていた不動産の仕事を勉強しながら、個人で不動産販売を始め、平成3年株式会社三喜建設を設立いたしました。

 ロータリークラブの中野、五十嵐、藤生、家住、石川諸氏との出合いで、不動産のノウハウを教えて頂きました。当時境野にあった事務所を平成7年に現在地に新築し頑張っております。工場用地、スーパー、ショッピング、テナントの誘致など商業開発全般を学んでおります。

 これからは西ロータリークラブの皆さんに私の解る不動産情報であれば、お力になりたいと思っております。

 若輩者ですが宜しくご指導お願い致します。

薬物乱用事犯の現状

大間々警察署長
斎藤道明様

1.深刻な覚せい剤情勢

 現在、我が国の薬物問題は、犯罪組織による覚せい剤の大量密輸入、無差別密売などにより、中・高校生をはじめ一般の主婦等までに覚せい剤乱用のすそ野が拡大し、戦後3回目となる「第三次覚せい剤乱用期」となっています。

○最近の特徴

・昨年一年間県内で薬物事件で摘発された者は300人弱ですが、その内28人が少年で、高校生が5人含まれており、16才の女子高校生もいるなど、少年の乱用が顕著になっています。

・初犯者(初めて覚せい剤取締法違反で検挙された者)の占める割合は約半数で、非常に高くなっています。

・覚せい剤乱用のすそ野が広がり、家庭の主婦や一般の市民までにも拡散しています。

○その背景としては、

・文部省研究所の推計によると、国内で違法に使用される覚せい剤総量は、年間約20トンを上回るなど、大量の覚せい剤が密輸入されていること。

・イラン人密売人等が、東毛地区の主要駅周辺において、無差別に街頭販売していること。 

 (密売事例〜略)

・末端密売価格が下がり、少年や一般の人でも簡単に入手することが出来る。

 (価格事例〜略)

・一般社会の中で、薬物の危険性、有害性の認識と罪悪感が欠如していること。

等が考えられます。

2.覚せい剤が社会に及ぼす影響

○覚せい剤を乱用することにより、各地で凶悪な犯罪が多発していると共に、生活の乱れや家庭内暴力、失業、経済破綻等を招いています。

○また、暴力団・不良外国人犯罪組織等の資金源となり、安全な社会を阻害する要因となっています。
3.覚せい剤乱用が身体に及ぼす影響

○依存性が強いこと。

 薬物は中枢神経に作用し、使用したときの快感を得るため、または使用をやめたことによる無力感、脱力感から逃げるため、薬物を強く求めることになります。

○耐性が出てくる

 薬物を繰り返し使用しているうち、同じ量では効かなくなり、次第に回数・量が増えて、自分の意志ではやめられなくなります。

○精神障害を起こす

 錯乱、幻覚などの精神障害が起こり、使用をやめたあとも、飲酒やストレスなどの刺激によって、突然幻覚、幻聴などがありますが、これをフラッシュバック(再燃)現象などと言います。

 (乱用事例〜略)

4.薬物乱用防止対策

 平成9年に、内閣総理大臣を本部長とする「薬物乱用対策推進本部」を設置。更に平成10年5月には「第三次覚せい剤乱用期」の早期終息に向け、「薬物乱用防止五ヶ年戦略」が策定され、関係省庁協力の下、政府を挙げた薬物対策に取り組んでいますが、「薬物乱用防止五ヶ年戦略」の基本目標として、
○薬物乱用の危険性を啓発し、特に青少年の薬物乱用を根絶する。

○暴力団、不良外国人の密売組織の取り締まりを徹底する。

○薬物依存・中毒者の治療と社会復帰を支援し、再乱用を防止する。

○薬物密造地域における対策の支援など国際協力を推進する。

等に取り組んでいます。

 薬物乱用防止の原点は、家庭から、学校から、職場から、地域からの草の根運動です。  

 私たちの身近なところから薬物乱用を許さない社会環境作りに、これまで以上にご協力をお願い致します。

 本日は、ご静聴ありがとうございました。

〈新会員卓話〉
第1443例会にて

私の仕事と人生

塚 本 貢 会員

 本日は新会員卓話ということで、貴重なお時間を頂いたにもかかわらず、何を話したらよいか考えがつきません。私の身辺のことをお話しさせて頂きます。

 私は、新里村に在住しております。新里村で生まれ、新里村で育ち、地元故郷を愛する一村民です。
 新里村も最近は、大変に開けてまいりました。隣人を知らない、などと都会で聞くような言葉を耳にいたします。昆虫の森建設や社会福祉の向上、商工業の発展など、様々の分野に力を入れています。

 私も、このような素晴らしい地域で、親父の仕事を引き継いで建設業の仕事をしておりますが、現実はなかなか思うようにいかず、多難を乗り越えて参りました。

 「川の流れのように…」という歌があります。人生の歳月も水が流れるように、いつの間にか流れてしまいました。

 現在は、従業員も家族のように「和」をもって明るい職場で、それぞれが持ち前の技術を発揮し、我が社の発展に努めているところです。

 私も、ふと気がつくと、45歳でした。結婚して25年になり、1男2女を授かり、子供の成長も早いもので、長女は結婚し、孫も生まれて目に入れても痛くないと言いますが、全くその通りです。とても可愛いです。

 長男は、学校卒業後、家業を継ぐということで、他社へ修業に出しました。昨年4月より我が社に入社してまいりました。

 1日の始まりは、息子と朝食を食べながら仕事の話をします。最近はずいぶん大人になったなあ……と思います。

 次女は、事務所で手伝っています。書類関係も出来るようになり、嫁に行かれたら…なんて寂しい気持ちがあります。

 私は最近、現場へ出ることも少なくなり、営業で毎日を過ごしております。息子に引き継ぐまで、もっと事業を拡大できれば…と思いつつ、毎日、毎日が努力の日々です。

 ロータリークラブに、江原会員に紹介いただき入会させて頂きました。諸先輩方に例会場でご指導いただき、勉強をして、今後一歩一歩前進して行こうと思います。

 未熟者の私ですが、ご指導ご鞭撻をお願い致します。

 話が整いませんが、新会員卓話と致します。

〈卓 話〉
奉仕の与える 影 響

東毛分区代理(桐生西RAC)
小林孝子さん

 例会にお招き頂きありがとうございます。

 昨年2560地区活動報告の中で、私達桐生西ローターアクターにとって大変うれしい報告がありましたので、ご紹介致します。

「. 特筆すべきは桐生西RACと提唱クラブである桐生西RCとの理想的な関係です。.中略. そこには親と子の信頼関係が成り立っています。これは他のクラブの方にも是非見習って実行して頂きたいと思います。」

 桐生西RCの皆様のアクトへの関心の深さと協力体制には、他のクラブの人から常にうらやましがられ、感心されています。皆様の暖かいご支援やご理解、奉仕の精神と模範に大変感謝しております。

 さて、今日は世界RA週間ということですので、アクトの活動について簡単に紹介をさせて頂きます。現在2840地区には13のRACがあります。活動は社会奉仕、職業奉仕、クラブ奉仕、国際奉仕の4つの柱に基づいて計画されます。その中には地区の活動方針や、年間ターゲットも盛り込まれますので、私達は大抵月2回の例会と、2ヶ月に1回程度の地区行事を行っています。

 今年度の活動で、最も思い出深い活動は、ダルニー奨学金を集める為に行ったチャリティーバザーです。東毛分区の4クラブ合同で行った活動ですが、RCの皆様には多大なる御協力を頂き大変ありがとうございました。お陰様で地区に委託するのに十分な金額を集めることが出来ました。開催に当たっての準備は大変勉強にまりました。また、分区一丸となって取り組むことで連帯感が生まれ、その後の活動に大きな影響を与えています。

 11月のバザー以降は分区会議が毎週活発に行われ、来月は合同例会も行う予定です。現在東毛分区では、6月に行われる指導者研修会を担当しています。地区内の全ローターアクターとRA委員長さんを対象とした大きなプログラムですので、毎週実行委員会を開いて念入りに準備に当たっています。

 しかし、何かを作り上げるには犠牲と忍耐を伴います。時間的制約、出費、意見のぶつかり合い。また理想と現実の違いに落ち込んだり悩むことも少なくありません。しかし、

そんなとき友人から聞いた一つのお話を思い出します。それは次のようなお話です。

 その友人はある日バスに乗りました。バスは満席でしたので、次の停留場で一人の老婆が乗ってきた時、彼女は席を譲りました。その様子を見ていた2〜3歳位の小さな男の子がどうして立つのかと父親に尋ねました。父親はそれはとても大切なことだと話したそうです。話し終わると男の子は父親の膝の上に昇り、目で合図をしました。父親は彼女の方を向いて言いました。

 「この子があなたに席を譲りたいそうです。」

 途端にバスの中は優しい暖かい雰囲気に包まれました。彼女が席に座ると、男の子は恥ずかしそうに、でもとてもうれしそうに父親の胸に顔を隠したそうです。

 この話を思い出すと、奉仕や謙遜で優しい気持ちが人に与える影響の大きさを感じます。男の子は友人に席を譲っただけでなく、バスに乗っていた人みんなに感動を与え、話を聞いた私を今も励ましてくれているのです。

 つい力を入れすぎて周りが見えなくなってしまうことも多いですが、友人に席を譲った男の子の様な、心のこもった奉仕活動をしていきたいと思っています。

 最後になりますが、快く事業所を提供して頂ける事。アクトの活動に参加して下さる事。ロータリーの活動に誘って頂いた事。いろいろな相談に乗って下さる事。視野の狭い自分達をを日々導いて下さる事に感謝しています。ロータリーの皆さんがアクトの活動を理解して下さる事は、とても強い心の支えとなっています。

 どうぞこれからも宜しくお願い致します。

〈卓 話〉
ローターアクトクラブの活動について

桐生西RAC
北爪崇裕君

 本日は、例会にお招き頂きありがとうございます。

 現在、第2840地区RACには、13のクラブがあり、男性81名、女性72名の会員がいます。活動内容は、地区の活動指針や年間ターゲット、ローターアクトの活動指標の社会奉仕、職業奉仕、クラブ奉仕、国際奉仕の四つの理念に基づいて活動計画を作成し、月に2回の例会、2ヶ月に1回の地区行事があります。

 活動内容は、各クラブによって様々ですが、桐生西RACでは、その地域の行事にボランティアとして参加したり、周辺の清掃活動や地区の活動指針にあるダルニー奨学金の募金を目的にしたバザーを開催するなど、社会奉仕・国際奉仕的な活動。また、自分達の興味や関心事を取り入れ、他の職業を実際に体験し、新たな知識や考え方を学び、自分の世界を開発出来るような専門知識的な活動。色々体験してみたい仕事もありますので、RCの皆様にもお願いする事があるかと思いますが、宜しくお願い致します。

 また、クラブ内の親睦を図る為、今年の予定されている行事は、お茶会やカーリング教室、染め物教室等を行いたいと思います。その他にも県内外のRAが参加しての地区のサマーキャンプ、スキー親睦会、ボーリング大会、キックベース大会等のレクリエーション、ライラ研修や海外研修、地区指導者研修会等。その他地域クラブ毎で企画したイベント等でローターアクト同士で近況報告などして交流を深めています。

 今年度活動目標の1つとして、他クラブ、地区行事への積極的参加というのがあります。これは昨年10周年記念式典を行って、沢山のクラブの人と知り合う事が出来ました。しかしながら10周年の準備等があり、地区行事、レクリエーション等にはほとんど参加できなかった事と、今年度は現在9名の会員ですが、その内の4名が新しく入った会員なので、地区や他クラブの行事や合同で行う活動に参加することにより、より多くの人と知り合い、話をする事で、人の考え方を知り自分を見つめ直し、自分の今まで持っている知識や世界を広げてもらい、自分の為だけでなく他の人を思う気持ちや、これからの仕事や人間関係に役立つ活動計画を作成しています。

 3月になり、今年度の活動をすると共に、来年度についての話し合いが中心となりつつあります。今年度は東毛分区代理が桐生西RACにおりますので、東毛分区4クラブ合同でボランティアを行った桐生文化市や、11月に太田で行ったダルニー奨学金の収益金寄付の目的のチャリティーバザーの参加等、分区単位での行事を中心に活動しております。特にダルニー奨学金のチャリティーバザーの際にはRCの皆様にはバザー品の提供など多大なるご協力とご理解を頂き、お陰様で予定を上回る収益金をあげることが出来、ダルニー奨学金基金に十分な寄付をお贈り致しました。来年度以降もこの様な活動を引き続き行っていければと思っています。

 最後になりましたが、自分はまだアクトに入って1年余りでわからない事が沢山ありますが、アクトの奉仕活動で大切なことは「小さな事でも出来ることがある。」ということだと思います。この気持ちを忘れずに、これからもアクトの活動を行っていきたいと思います。

〈会員卓話〉 第1447例会

ポール・ハリス記念樹月桂樹について

井本上輔会

 昭和10年(1935年)2月9日、ロータリーの創立者ポール・ハリスが夫人と共に、マニラで開かれる第5回太平洋地域大会に向かう途中、日本に立ち寄った。滞在1日の慌ただしい寄港であったが、東京帝国ホテルで月桂樹の記念植樹を行った。

 ポール・ハリスの月桂樹は、太平洋戦争の最中手入れされず、病虫害に侵されて枯死寸前になっていた。1967年(昭和42年)、たまたま帝国ホテルでは建物の老朽化に伴い、改築のためにこの月桂樹を移植することになった。

 第一生命の矢野一郎氏(東京RC)によって温暖肥沃な神奈川県大井町に移されたが、既に枯死寸前であったため、枝葉を切って100〜300本の挿木を数社に依頼した。しかしほとんど枯れてしまい、第一生命の子会社相互林園の小沢元之助氏が10数本挿木を試みた。アメリカの特殊ホルモン剤をいろいろな濃度にして苦心の結果、奇跡的に8本が活着したと言われている。

 現在この2世月桂樹は、下記に移植されて関係者によって大切に管理生育されている。

 1.1980年、米山記念館1本
 2.1980年、小田原市二宮金次郎生家1本
 3.第一生命社屋敷地内2本
 4.1980年東京RC創立60周年に返還2本
  @帝国ホテル正面左袖車庫出口1本
  A東京北の丸公園清水門南側1本
  (2本は行方不明、追跡調査中)計6本

 桐生RC35周年記念式典における松島貫一氏の記念卓話
(一部抜粋) 1988年(昭和63年)
 幸いクラブの会員に花清の近藤君が居り、彼に相談の結果、東京RCの2世月桂樹の一枝をいただくために、使者として2人で東京RC例会に出席した。その時、元日本航空社長朝田さんが会長でした。会長の指命により演壇から本日訪問の理由を説明し、月桂樹一枝を、子供である桐生RCに、生みの親である東京RCから是非いただきたいとおねだりを致しました。会場に並みいる会員から温かい拍手をいただきました。
 このようにして2世月桂樹の枝を桐生に持ち運ぶことができました。
 現在この挿木は、近藤君が作った苗床で静かに時の来るのを待っています。
 松島貫一氏は記念卓話を次のように締めくくっています。
 若しも月桂樹の子孫が近隣クラブに移植されて、更に親睦を深めることができれば、桐生RC創立35周年記念に花を添えるでしょう。

  北の丸公園に2世月桂樹を
訪ねて

 私は昨年(平成12年)10月9日、北の丸公園に植えられている2世月桂樹の木に対面する幸運に恵まれた。

 東京RCから管理事務所に連絡していただき、係の方から丁重な案内をいただいたお陰で、公園の木々の中に大きく枝を広げた樹齢30年大木、2世月桂樹を仰ぎ見て一瞬感無量、しばし呆然とした。

 東京RCの先人達が、この月桂樹の木に寄せる思いを垣間見ることができた。
 そしてこれからも、大切な木の由来が語り継がれるのを祈っています。

 1999年7月、鳥嶋直前会長就任時に、桐生RCへ表敬訪問で伺った折に、森会長さんにお願いを申し上げました。

 桐生倶楽部前庭に植樹されている、ポール・ハリス3世月桂樹の新芽を挿木するために戴きたい旨をお伝えいたしました。即快諾いただきました。この3世月桂樹は当クラブの先輩がいろいろ思いを込めて植樹されたものです、ポール・ハリスの分身である大切な月桂樹でありますから慎重に扱っていただきたいとの話を承りました。理事会で了承いただき、私と鳥嶋会長で新芽をいただいて挿木をいたしました。
 この挿木に当って、私の知人に前橋市カネコ種苗に勤務している男が居り、月桂樹の挿木についてノウハウを教えて貰いました。
 私は挿木した1年間は細心の管理と、生きている植物の法則を忠実に守りました。その結果80%発根と活着に成功し、2年目露地に移植し、現在は順調に成長しております。
 ポール・ハリスが記念植樹して以来65年の歴史を刻んでいます。
 この木の発展と共に私たちロータリーが、活力と繁栄の道を歩まんことを期待致します。

〈卓 話〉
インターアクトクラブ
台湾研修報告

大間々高校インターアクトクラブ
中島 梢さん

 3月22日、私は、不安な気持ちのまま台湾へ向け日本を出発しました。約3時間くらいで台湾に着いたけれど、すぐには異国の地へ来たという実感がありませんでした。台湾の人の顔は、日本の人の顔と似ていて、言葉を聞くまでは、どっちなのか全くと言っていいほど分からないくらいでした。

 ホテルまでバスで移動する時に外を見ていて、とてもびっくりしました。車に負けないくらいのバイクの数で、しかも一つのバイクに3人も4人も乗っていたからです。

 2日目になると、台北のお寺や陶芸の里、夜市など、いろいろな場所へ見学に行きました。その中でも一番印象に残っているのが夜市でした。日本のお祭りみたいで、これが毎日やっているというのは、すごいなと思いましたが、とても元気のある場所で、私はとても気に入りました。

 次の日には、私の一番不安であったホームステイが待っていました。中国語はもちろんのこと、英語もほんの少ししか話せない私がホームステイをしても大丈夫なのか、そればかりを考えていました。清傳高級商業職学校に着くと、私のパートナーが待っていました。梁家華という子で、とまどっている私を笑顔でむかえてくれました。その時に私の中で少し不安がなくなった気がしました。交流会が終わった後、チャンホアーと、友達のホンロウ、チーリン、インティンと一緒に買い物をしたり、夜景を見に行ったり、お茶の飲み会をやったりしているうちに朝の5時半になってしまいました。言葉で自分の思っていることを伝えるのは、とても難しいことでしたが、楽しくて、時間がたつのを忘れてしまっていました。次の日も海へ行ったり、ドライブをしたりとしているうちに、すぐに時間がたってしまいました。4人ともいい人で、私のヘタな英語もなんとか理解しようとしてくれて、とてもうれしかったです。

 お別れパーティーが終わって、本当の別れの時になると、人前で泣くことが嫌いで、めったに泣いたりしない私が、大粒の涙を流していました。きっと、言葉を一生懸命伝えようと努力したからこそ、がんばったからこそ涙が止まらなかったのだと思います。ふいてもふいても止まらない涙をなんとかおさえて、最後の別れのあいさつをしました。

 チャンホアーは、最後に「梢を忘れないよ。手紙を書くから」と言ってくれ、私を強く抱きしめてくれました。

 私は、この旅ですごくいい方向に変われた気がします。それにひとまわりもふたまわりも大きくなれたと思います。言葉で伝えることはとても大切なことだと思うけれど、言葉がなくても何か、きっと通じ合えるものがあるのだと思いました。この5日間の旅をした人だけが味わえるもので、私は、とても貴重な体験をしたのだなと、今すごく実感しています。本当にすばらしい台湾のこと、それから友達のことは、一生忘れない、いや忘れられないと思います。

 最後に、私を台湾に行かせてくれた根本会長、ロータリーの皆さんに感謝したいと思います。本当にありがとうございました。

〈卓 話〉
楽しい健康体操

大間々町体育指導委員
深澤ツユ 様

〈プロフィール〉
 所属 大間々町体育指導委員
     〃 教育委員会社会教育課体育係
 主な活動歴 大間々町の小学校に40年勤務
       小学校体育研究会ダンス講師
 現在は地域の軽スポーツやレクリエーショ ンの指導にあたっている(ままの出前講座)

 本日は卓話というより、この例会場で簡単に出来る健康体操を楽しく指導して頂きました。  

 「まず健康とは、RCの例会のように何人かで集まってお話したり、笑ったりしてストレスを解消することです。それでは手足をちょっと動かしてもらいましょう。つかれたなと思った時、次の様な体操をして下さい。」というお話から始まり、平均年令60才を越えるロータリアンが、ベテランの先生から小学生のように、励まされたり、誉められたりして、日頃の運動不足解消に励みました。

中高年にとっての運動について資料を配布。

深澤先生、楽しいご指導をありがとうございました。

〈第1450例会記念卓話〉

85年を歩んだ20世紀を顧み
21世紀を想う

星野精助会員

 今、21世紀21世紀と言われていますが、20世紀の100年間のうち私は85年間を生きてきましたので、20世紀というものを自分ながら考えてみたわけであります。

 20世紀初めの日本の人口は4,471万人で、群馬県は80万人。現在の日本は12,500万人、およそ2.8倍になるという時代の中で、私自身の85年間の生涯は努力をして生きて来たと言えます。21世紀になりますと80年間で人口が半分になるということが予想されています。我が町大間々は22,000人から10,000人に、桐生は120,000人から50,000人になってしまいます。これからの子供や孫達が生き抜いていくのに大変な時代ではないかなと考えられます。

 20世紀の前半は、富国強兵を中心に技術・経済・教育・建設が発展し、世界の中で小さな国であった日本が、いろいろな戦争を経て次第に領土を拡げ軍事力も3大強国となりました。おそらく前半の明治維新からの80年は、世界の奇跡ではないかと考えられます。

 後半は、1945年に敗戦し、その後は5年間アメリカの占領下にあったのですが、やはりアメリカの政策でカルタゴ化をはかって、日本を生かしておくことは危険だということだったのですが、朝鮮南北戦争が起きたことで日本を同盟国として韓国に対さないといけないということで現在に来たわけですが、独立国となりましてからは、戦争中の陸士海兵の頭脳、軍事力に使われていた技術を使い、また軍事費も経済復興に集中的に使われ、経済復興に大いに役立てられました。

 そして米ソの冷戦構造が日本を大きくしましたが、10年前に日本は、バブルの崩壊の頂点が米ソの冷戦構造の解消した時期で、共産主義の脅威が無くなって政治も大きくぐらつきました。

 その間前半で145%人口が増え、後半では190%増えています。私が小学校の頃の平均寿命は50〜55歳くらいではなかったでしょうか。一世帯あたりの子供の人数も多かったのですが死亡率が高く平均寿命は低かった。それが、医療技術や健康保険の発達で平均寿命も80歳と高まってきていますが、子供の人数が減り老人の人数が増える傾向にあります。そんな環境の変化に仕事の内容も変化してきています。
 戦争敗戦により戦死・戦傷者が出たり、華族制度が廃止、小作人が解放される、また軍人特権階級の廃止ということで転職を余儀なくされ慣れない仕事をせざるを得なかった中で、現在生き残った方々は非常に恵まれた環境ではなかったかと考えられます。

 そして、戦後50年で人口が2倍になり消費も増え、新しい産業も増えてきました。ほとんどの人が高等学校また大学への進学も増え、就職機会も増えた。この発展は、我が国の歴史上でも世界の中でも例のない事ではないかと考えられます。

 先ほども申し上げました、10年前いわゆる冷戦構造の解消で株価が36,000円、土地も庶民には手に入らない値段になっていたのですが、現在は、株価は1/3、地価も半分、国債は700兆円、金融機関の倒産などは考えもしないことでした。第三セクターの大半が赤字であるという難局を抱えた20世紀が終わり21世紀を迎えたわけですが、人口は、ここ2〜3年がピークで、後は毎年減少していくということです。新入学児童がいなかったり学校統合なども起こってきています。その反面、平均寿命が80、85、90歳と高くなり、22世紀には100人に1人が100歳となるのではないかと言われています。80歳まで元気で働かないと、80歳以上の人を養えないのではないかと思われます。とても想像できない時代が来ます。
 環境問題におきましても、石原都知事などは、環境行政がこのままだと22世紀には日本が滅亡すると言われ、環境問題は大変重要であると考えられています。

 では、21世紀はすばらしい時代として迎えていいのか、あるいは大変な時代として深刻に受け止めるのか、私は両方あると考えています。人口問題の減少による弊害も国民一人一人の考えによって心配することはないという見解もあります。

 だいたい日本は、400年ごとに大きな変革をしています。1603年、日本の中心が江戸に移ってから後2年で400年になります。バブルが終わって10年、日本が大きく変わる時代が来ていると感じています。人口が半分になる頂上から降りるときであり、IT革命またはFT革命と言われておりますが、どのようになるか、大きな節目の時代であると考えられます。

 これからどういう社会が来るか分かりません。私のような老人が21世紀を考えることはできませんが、今日おいでのロータリアンの方々は、21世紀はどんな世の中になるのかを考えていっていただきたい。

 私がロータリーで、よりよい卓話を多く聞くことができたことで得た物は、自分の生涯の、あるいは人生の収穫であったと感謝しております。どうか皆様も、このロータリーの例会や委員会活動を通して、それぞれ立派なロータリアンとして成長されることを、心から祈念します。

〈卓話〉第1452例会

ファッションタウン
構想とその具現化

服飾デザイナー

荒島スミ子 様

 「ファッションタウン構想」とは、

 繊維産業は、日本の産業の中でも10%の雇用を抱える極めて重要な産業です。それを支える産地は輸入品の増大、高齢化、後継者不足などにより非常に厳しい現状で、この地域一体となった繊維産地を21世紀にも、如何に発展させることが出来るか、通産省に答申された「新繊維ビジョン」の中にとりまとめられたのが、ファッションタウン構想です。では「ファッションタウンとは?」簡単にいえば、ファッションを生み出すまちづくり。

 これからの地方都市は、生活文化提案型産業、即ち、住民に密着し、地域に根ざした産業が地域の発展をうながし、地域が独自にオリジナリティを持って、住民一体となってまちづくりに取り組むことが必要となりましょう。桐生市は、日本ファッション協会からファッションタウンのモデル都市の指定を受け平成5年に「ファッションタウン構想」を立ち上げました。平成9年に「ファッションタウン桐生推進協議会」が正式に発足し、商工会議所が中心となって、様々な活動を展開して居ります。運営委員会の中に、生活文化、産業活性化、まちづくり、FTネットと4つの委員会があり、それぞれが、桐生のファッションタウン化を目指してまちづくりの運動を行って居ります。

 桐生市の第4次総合計画、特別プロジェクトに「ファッションタウン構想の促進」として、ファッションタウン推進協議会の提言が取り上げられ、今後は官民一体となって、この運動がすすめられることとなりましょう。その中で「ファッションタウン構想」は、衣・食・住・職・学・遊、すべてに渡る広範な市民運動によるまちづくりです。市民や商工会議所等との連携を図りながら、本市の計画との整合性に留意しつつ、その促進に努めます。と、うたって居ります。このことにより、今後はより一層市民への浸透を計り、官にのみ頼るのではなく、市民一人一人の自覚の元に、生活そのものをファッションととらえ、うるおいのあるまち、ファッションタウン桐生の具現化に努めたいと願って居ります。

 人的資源、物的資源、又、自然に恵まれた桐生には、計り知れない可能性があるのです。そこに住む
市民の自覚が桐生のまちを豊かにします。「ファッションタウン」是非皆様も、手を携えて、この運動にご協力いただきたいと願って居ります。

 本日は、お招きいただきまして、ありがとう存じました。

〈卓話〉第1453例会

両毛(群馬・栃木)・群馬県央の両経済圏と埼玉・東京を結ぶ新・高速道路体系を提案する

元 桐生信金副理事長
きりしん総合研究所長


曽 我  悟 様

 通産・運輸・建設など6省庁の2年にわたる調査結果は、東京大都市圏から分散する諸機能の受け皿として高く評価され、人口百万人の中核都市圏として整備する基本計画がある。しかし、地理的には都心60〜100キロ圏にありながら、仙台よりも不便で日常生活・ビジネス等あらゆる面で交流を阻害し、折角の国の基本計画も絵に描いた餅になりかねない。新たなアクセスルートとして太田・熊谷ルートを提示した。

 群馬・埼玉両県の12市町で構成する「埼群軌道新線建設促進期成同盟」が提案する熊谷・西小泉間15キロの東武鉄道所有廃線敷地を使って熊谷と大間々を結ぶ41キロの軌道新線計画は、地域の悲願であったが、膨大な建設費が必要となる上、不便な低速交通では、経済圏相互の幹線輸送の役割を果たさず不採算路線となる恐れがあり、東武の既存路線経営に重大な影響を及ぼしかねない。打開策として、東武・JRの既存交通施設を生かし、両社の日常生活密着型高速電車相互乗り入れで都心高速直通が考えられる。両毛地区・埼玉から東京都心間には、東武・JRの現行路線や廃線鉄道敷地が連続に現存しているのに、現状ではバラバラで真価を発揮していない。これを一体的に生かせば用地買収も殆ど要らず首都高速道路1キロ〜2キロ分程度の最小建設費で最大40キロ〜50キロの距離短縮、50分〜70分前後で都心直通が可能になる。そこで41キロの新線建設は不要となり、原案で建設費は高架の場合1千億円から3百億円に、地表の場合1千5百億円から2百億円に大幅圧縮される。

 群馬・栃木が埼玉及び東京都心に直結し最も近い経済圏となることは、自動車やエレクトロニクスなど卓越した工業生産機能の集積を基礎に最先端産業を次々と生み出す地域に、また織物の歴史に育まれた文化と感性を生かしファッション産業など消費者と直結した物づくりの基地に、美しい自然と文化は、首都圏の憩いの場となるなど、最小限の投資での北関東の経済圏の活性化が、首都圏全体の活性化にも大きく波及していく事が期待される。           (編者要約)

〈卓 話〉

新しい風を 学校に

桐生市教育委員長
小松原 清 様

(1)気持ち良く学べる環境づくり
 今年の4月に転勤したある中学の校長は、
 1.教室や廊下、トイレをきれいにする。
 2.生徒の服装を整える。
 3.明るい挨拶を皆でする。
の3点を1.5ヶ月間徹底する事によって、「学校が、良くなってきた。」と言っています。

(2)「綺麗にしろ」と一言も言わない
 本田社長は、自分の工場が汚いと感じた時に、工場の汚れている写真(入賞作品には1万円)を募集して、社員食堂に大きな写真を10点飾った。写真の横にはどこの職場で何時とったと書いてあるので、三月目には、きれいな工場になり、写真は全く集まらなくなった。

(3)「おとなしくしろ」と一言も言わない
 日光高校は、関西旅行に出かけた。生徒達は、はしゃいでいて、先生やガイドさんの言うことを聞かない。千田先生は、移動するバスの中で「今回の修学旅行に、来たくても来れなかった友達が5人いる。彼らは、さぞや寂しい思いでいるだろう。これから彼らを皆で応援しよう」と話して、「頑張れ、頑張れ、山田」と3回ずつ5人の友達にエールを贈った。
 それからの生徒達の言動は、ガイドさんも驚くほど奇跡的に変わったそうです。

(4)一つ引き出すと、全部良くなる
 EDUCATEとは、ラテン語で「引き出す」という意味だそうです。本田宗一郎さんは、社員の職場に対するプライドに働きかけて職場を綺麗にするとう行動を引き出した。千田孝信さん(日光高校に在任33年。現在平泉中尊寺貫首)は、生徒の寂しい思いをしている5人の友達に対する友情を引き出した。彼は、「一つ引き出すと、全部良くなる」と言っています。

(5)地域の皆さんの学校
 気持ち良く学べる環境づくりは、優秀な校長や先生に任せるとして、お説教的な事を一言も言わないで、生徒の能力を引き出す教育は、色々な人生経験をつみ、物事の本質をつかむ力を持っている人のみが出来る事です。21世紀の教育改革のなかに、総合的学習の導入があります。自分の、或いは自分達の興味あるテーマを決めて、自主的に学んでいく授業です。自分の興味ある課題ですから、一生懸命取り組んでいます。

 どうか、地域の生徒達への良きアドバイザーとして、皆さんの素晴らしい経験や知恵を活用してください。新しい風を学校に吹き込み、21世紀の子供がたくましく育つ為に…。

〈卓 話〉

景気の現状と
今後の行方

財団法人群馬経済研究所
常務理事 小野吉英様

1.現状の景気局面と最近の動き

 現状の景気について、結論を申し上げれば、既に「後退局面」に入っていると思います。景気を見る統計は沢山ありますが、よく利用されるのが経済成長率を表すGDP統計です。最近の同統計の動きをみますと、家計(個人消費)や政府部門(公共投資)が低迷している反面、企業部門(設備投資)が比較的堅調で、国内の景気は、極めて緩やかですが回復基調をたどってきました。

 しかし、昨秋からの米国経済の急減速を背景に、日本経済に暗雲が垂れ込めてきました。つまり、米国経済の急減速によってわが国の輸出が鈍化 → この影響で在庫が積み上がり企業の生産がマイナスへ → 生産減を映じて設備投資の先行指標である機械受注が落ち込む等、これまで景気の牽引役であった企業部門の変調が目立ってきたのです。

 こうした状況を景気動向指数(一致指数)でみると、景気は既にピークアウトしたと思われます。そして、今年年初辺りから後退局面に入った可能性があります。

 群馬県経済をみますと、総じて低調に推移していますが、ここにきて経済指標が極端に悪化してきた形跡は認められません。しかし、県内企業の景況判断をみると、昨年7〜9月期をピークにかなり悪化しており、経済統計の数字以上に経営者のマインドが萎縮してきている様子が伺われます。

2.今後の景気の行方

 さて、景気の先行きですが、今年度の実質経済成長率を政府は1.7%程度、民間研究機関が0.9%内外と予測していますが、先行き景気が盛り上がる可能性はかなり少ないように思われます。その理由の第一は、世界経済をリードしてきた米国の景気減速です。米国は昨年5%成長を達成しましたが、今年は2%内外にとどまりそうで、輸出に多くを期待できそうにないことです。二つ目は、国内外の需要減退に伴って意図せざる在庫が積み上がっていること。前回の在庫循環の動きを機械的に当てはめると、回復局面に復帰するのは、順調にいって来年1〜3月期になりそうです。

 第三は株価の低迷です。株価は景気に6〜8か月先行すると言われておりますが、現状の株価水準から判断すると、年内の景気回復はかなり難しそうです。第四は小泉内閣が掲げる「構造改革」です。構造改革は、長い目でみれば日本経済の発展に寄与しますが、一時的に景気の抑制要因として働くことは否定できません。小泉首相は5月の所信表明演説で、不良債権の早期処理や財政構造改革等を掲げ、「聖域なき構造改革」に取り組む決意を表明しました。つまり、前者は2〜3年内をメドに不良債権の最終処理をめざすこと。これを実行に移せば、企業倒産に伴う失業者の急増で、一時的に景気が悪くなることは避けられません。後者は、平成14年度の国債発行を30兆円以内にとどめるとしていること。同年度の国債発行は33.3兆円が予定されているため、3兆円強の削減が必要になります。つまり、従来のような国債増発による景気対策の手法は採り難い状況にあります。

 以上みてきたように、在庫循環からみると、景気が回復に転ずるのは来年1〜3月になりそうですが、構造改革の実行次第ではもう少し先にずれ込む可能性もあります。とはいえ、痛みを伴う構造改革は、一時的には景気回復の抑制要因になるが、中長期的に見れば日本経済の復活・発展につながることは間違いありません。その意味では、今は雌伏の時。今しばらくの辛抱が肝要だと思います。

 以上で景気の話を終わらしていただきます。ご静聴ありがとうございました。

〈卓 話〉

健康診断の結果をみて

健康管理委員長
  篠原宏康会員
 
 会社経営に於けるリスクマネジメントの重要性は、皆様方は充分理解し実践されていると思いますが、ご自分の健康に対しては如何でしょうか。健康診断の結果についてお話し致します。

 統計上、寝たきりになる疾患、現在群馬県では要介護者は43万人と言われていますが、これらの原因疾患のうち、いわゆる生活習慣病に起因するといわれる脳卒中、心臓病、高血圧が41%を占めています。この生活習慣病においては、高脂血症、糖尿病、高血圧症および肥満が死の四重奏といわれています。

 今回、5月18日の健康診断をまとめさせていただきました。その結果、有所見率は92.3%を示しています。この有所見者とは、検査値において異常を認められた場合で、必ずしも治療等が必要とは限りません。ちなみに全国の健康診断における有所見率は41.2%、群馬県においては46%といわれていますので、このクラブの有所見者がいかに多いかが理解されると思います。この中で高脂血症の診断は19名36.5%、高血圧症は軽症もいれて13名25%、糖尿病8名15%となっています。これを全国平均で見ますと脂質異常は23%、群馬県では29%、高血圧症は9.7%、群馬では12.2%となっています。これらのデーターから考えてみますと、わが西ロータリーの皆様方は仕事に熱中していて、仕事のリスク管理は充分でも、自分の健康に対してのリスクマネージメントが、いささか疎かなのではないかと感じました。

(編者注)今回にあらたに、PSA・ペプシノゲンT・ペプシノゲンU・ペプシノゲンT/Uの4つの検査項目が加わり、PSAに関しては前立腺の検査であり、各ペプシノゲンの検査はペプシン(タンパク質)を調べて、胃炎〜胃癌の早期発見の為の検査だと、話されました。